大学は山の上だ。
もともとこの街が山を切り崩して成り立っていることもあって
俺の住んでるアパートも大学も
果てしなく山の上だ。
もぬけの空の午前中/其処かしこで揺れるモノ
俺の住んでるアパートは山の上。
はじめて大学に足を運んだときもスゲェ山だと思ったが、標高的には俺の住んでる所の方が高い。
しかも見下ろせばそこには大学──起伏激しい道をくねくねと辿るより、
ロープウェイでも張って行った方が絶対近いと思うのは俺だけじゃないはずだ。
兎にも角にも時には寝過ごし、時には遅刻しながら大学に通う。
道すがら、いろいろなものに出会う。
ひっくりかえりそうなくらい急な坂道を通るバスに乗って、街を眺める。
この街は陽炎の街だな。
何もかもが醤油色で、埃っぽいけれど水のように影のように揺らいでいる。
人も建物も区別無く。
一枚の絵に描かれているかのように、人が背景に溶け込んでいる。
バスの中の人、バス上から一瞬視界に入る人。
ある人は輪郭線を残して灰色に霞んで靄のように佇み、吊り革を掴み。
一瞬見えた歩道を歩く女性は、やけに紅々としめらせた唇を光らせて。
溶けたような夕日色のシートに座る推定30代の、
顔色も顔の皮も薄そうな女が薄い口を呆けたように空けて何処かを見上げている。
バスを降りて、大学に着く頃には。
流行に乗った女の子たちは、命短しと言わんばかりに周囲を気にすることなく弾丸トークを繰り広げる。
のらりくらりと歩く男は、詰まらなそうに音漏れのする意味の無いイヤホンを耳につけたまま、死んだ魚のような目をして。
清掃員のおじさんたちはもくもくとゴミを回収してゆく。いつもの白淡い制服で。
先が長いと思い込んでるものたちであればあるほど、煙のように揺れて実体を維持できず。
老い先短いと思い始めた人たちの方が逆にしっかりと前を見据えて歩き始める。
たとえそれが糸のように細く長いものであったとしても。
構内に棲みついた野良猫たちが、気まぐれに自分の方に寄って来ては話しかけてくる。
「にゃあぁーぉ。」
芝生に置かれたベンチで文庫本を読んでいたら話しかけられた。
顔を上げれば白地に赤茶と黒のブチ猫が、足を前にきちんと揃えてお座りしている。
「よぉ。」
別に弁当を食っていて寄って来たわけでもなし、もとい手元に食うものを持ってるわけでもなし。
そんなわけでどうする理由も無く、こういうときは今でも戸惑ってしまう。
ねだるのが目的ではないのだ、この猫は。
「・・・・なんにも無いぜ」
「にゃぁあ。」
それでも猫はきちんと目の前でお座りしたまま動かない。
そのまるく大きな目を覗き込んでも、茶色が水のように潤っていてとても綺麗だいうことしか解からない。
俺が悲しいのはこんなときだ。
普通の人間で在ることが悲しいのはこんなとき。
意思疎通の出来ない相手を目の前にしたとき、せめて会話はできなくても何か感じ取れたらいいのにと切に思う。
猫は立ち去ろうとしない。
相変わらず丸い目をこちらにまっすぐ向けている。
だから俺も視線を逸らすことが出来なくて、困った気持ちのまま猫の目を見つめる。
「困ったな」
途方に暮れて苦笑していると、向こうから顔見知りがやって来るのが見えた。
「うおーい」
ソイツも俺に気がついて、こちらに近寄ってくる。
その瞬間、
「ファーーーッ!!!」
カッと八重歯を剥き出しにして、猫がソイツに向かって威嚇した。
「おおおおお?!なんだよ?」
ソイツは一瞬焦って身を引いたが、
猫は立ち上がるとしっぽを向けてソイツが居る方向とは反対の方へ歩いて行ってしまった。
「・・・・・・」
俺は少しいい気分、嬉しい気分だった。
さっきの猫と気持ちが通じたと思ったから。
だってさっき、俺は顔見知りがやって来るのを見たとき。
もうすこし、この猫とこのままで居たいと思っていたから。
ガチャっとアパートの部屋のドアを開け、そのまま6畳一間ロフト付きの部屋へと続くガラス戸を蹴り開ける。
ばかかぁ〜〜〜ん、と薄い扉が振動して音を立てる。
リュックをその辺に放り出し、窓際の机に向かってノーパソを開く。
視界の端に、あの女が見えた。
「べつに俺はそうしてるお前を見てるのも、一緒に居るのもキライじゃないぜ」
独りそうごちると、俺はパソコンの画面に視線を戻した。
もぬけの空の午前中/其処かしこで揺れるモノ
『いいなぁ、猫』
本当に羨ましそうな弟の声。
「そっちにも野良がたくさんいるだろうが」
呆れた声を出すと、
『だってこっちにそんな盟友してくれそうな猫なんていないもん』
という返事が返ってきた。
それにはさすがの俺も、なるほどそうだと納得させられた。