何が宝石だ
何が真珠だ
この水球は美しくなんかない
ただ、ほんのちょっとだけ。
ワトソンの過去は続く。
深く、静かに。
悲しみは深海に降るマリン・スノウのごとく
残骸だけを残して。
母は この復讐劇を一度きりのものとするはずだった。
そのはずでいた。
だけど一度
血の味を憶えた人魚たちは
人間たちを捕食し始める。
それは憎しみから美味への昇華───
いいや、堕落だったのだろう。
出航する全ての舟が喰われて
人魚の浜には白骨が打ちあがり、死の浜となった。
母は激情に駆られて取った自分の軽率な行動を悔やんだ。
もはや長である母の諌めも、人間の血の味を覚えてしまった人魚たちには届かなかったのである。
白骨で埋め尽くされた砂浜で、ひとり泣く、母。
母の膝に寄り添う自分の上に、透明な雨が止むことなく降りそそいでいた。
ある日。
母は幼い自分を連れて
この海の浅瀬へとやって来た。
サンゴ礁に恵まれた浅瀬。
大きなテーブル珊瑚に自分を座らせると、告げた。
わたしの子
ここでお別れ
母は行かなくてはならないから
わたしの子
ここでお別れ
ここでお別れ・・・・・
何処へ、とは聞かなかった。
あの頃、まだ自分は小さかったけれど。
もう解かっていたから
だから、おとなしくコクンと首を縦に振った。
海が鳴動し始める。
遠くから、あの唄が聞こえる。
あの、紅く染まってしまった唄が・・・・・
母はそれと知るや否や、もの凄い速さでそこから泳ぎ去っていってしまった。
生まれた泡の向こうに、ちいさく
サヨナラと呟いた。
それから母の行方は知れない。
「・・・・止めに行ったのか。長、として」
「だろうね・・・・でも、いまも人魚の『人喰い』は続いてる」
それが何を意味するかを聞くのは愚問だろう。
止めに行った彼女は、おそらく。
「ごめんね。・・・・止められなくて」
何処か上の空な様子で
ポツリと、ワトソンが呟いた。
「僕は、長の子なのに」
違うだろう。そこは違うだろう。そうじゃないだろう。
「もうすこし僕がはやく生まれていればよかったね」
そしたら止められたかもしれない、そう睦言のように呟く彼の目に手をかざした。
「違うだろう・・・・」
そう、違うだろう。これもそれも。
どれもが違うだろう。
始めに人魚を襲った人間
激情に駆られて復讐を促した人魚の長
血の味を覚えて暴走した人魚たち
そして、幼かったきみ。
始めに人魚を襲った人間をなんて愚かなと思いはすれど、彼らもまた違う。
誰も、こんなことになるなんて思いもしなかったはずだ。
始めの人間は人魚が復讐するなんて思いもしないで
人魚の長はまさか自分の許した行為が続いていくなんて思いもしないで
人魚たちは人間の血に自分たちがこんなにも酔いしれるなんて思いもしないで
そしてきみは。
「こんな混沌とした時代を生きるはめになるなんて、思ってもいなかっただろう?」
未来とは、現実とは予測の付かないものだ。
たったひとつの事象が、思わぬ選択肢を生み、思わぬ方向へと進んで行く。
「これもそんな結果のひとつだったんだ。何も君を責められないし、誰も何も責められない」
「・・・・・・」
「だから、」
さっきから、彼の眼元にかざしている手のひらが、熱い。
「きみも泣いてもいいんだよ」
きみの母が白骨の砂浜の上でそうしたように。
うわああああああああああん!!!!
堰が切れたように涙が頬をつたって、水球を成して落ちてゆく。
そのひとつが、私の手のひらにコロリと落ちた。
なんだこんなもの
何が宝石だ
何が真珠だ
この水球は美しくなんかない
ただ、ほんのちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ、綺麗なだけだ。
綺麗なぶんだけ悲しい
ただの水球じゃないか。
何処からともなく湧いてくる苛立ちと悔しさを紛らわすように
あられもなく泣く彼の背中を、強くさすった。
* * *
過去編おわり。
ワトママもがんばったとは思うんだ、うん。
* * *