その日の夜の僕らは
まるで子どものようだった
いっしょに 寝ても いいかな。
そう告げてきた時点で、すでにワトソンはもぞもぞと私のベッドに潜り込んでいた。
きちんと自分の分の枕まで持って。
ぱふん、と枕に頭を預けると気持ち良さそうに目を閉じてしまった。
「・・・好きに。」
ふぅと溜め息をついて、私は彼のために少し場所をつめてやった。
そして私はまた本を読み始める。
柔らかなシーツ
柔らかなタオルケット
ふっくらとした枕
ゆっくりと進む時間──規則的な時計の音だけが響く。
空間は淡く白く濁り、穏やかな波間のように揺れていた。
「海の水面から生まれたの・・・海の水面の雫から・・・・・」
本から目を離し、顔を上げる。
ワトソンは、目を閉じたままだった。
てっきり寝言かと思っていたら、うっすらと目を開けてこちらを見た。
「ねぇ、ホームズ・・・・どうして人魚は人間を襲うようになったんだと思う・・・・・?」
どこか夢見るような声で囁くものだから、寝ぼけているのかと思った。
「さぁねぇ。人魚の長が、人間に復讐するために始めたのが最初との噂があるけど、」
「ほんとだよ」
私の言葉に入り込むように紡がれた言葉。
「───」
私はすぐに、彼は寝ぼけてるのかもしれないと思った。
「ほんとなんだ」
「───何故そういい切れるんだい?きみが。」
「ぼくがその長の子だから。」
何故ってその声があまりにもまどろんだものだったから。
わたしは 海の女神の化身
月の光に誘われて 海の水面(みなも)から生まれたの
夜なら満月 岩島に腰かけて
昼なら青空 白い白い砂の上
まだ見ぬあなた 銀の舟で迎えにきて
わたしは ここに
ここに いるのだから
白い砂浜。穏やかな青い海、青い空。
あの頃はすべてが穏やかだった。
平和だった。
みんな、白浜で歌を唱って。
波間に揺れ泳いで。
抜けるような青い空を見上げて。
夜には、白い月に想い馳せて。
ほんとうに平和だった。
まだ小さなぼくは、それを母の膝の上で眺めていた。
彼女は人魚の長だった。
亜麻色の長い髪が常に濡れて美しく
微笑む顔は穏やかで、聖母の如く。
いつもいつもやさしく歌を唱って聞かせてくれた。
それは変わることなき日常だった。
これからも、変わらないはずだった。
───なのに。
た っ た ひ と り の 仲 間 の 死 が 、 す べ て を 一 変 さ せ た 。
狙われた涙。
人魚の涙。
水面の涙。
それは美しい水球が触れられる形になったもの。
いったい何処で知ったのか。
ある人間が一人の人魚を捕まえる。
すべては美しき水球を手に入れるため
散々打ちのめされた彼女は
涸れるほどの涙を流し
動かなくなると、海へと打ち捨てられた。
一週間後、変わり果てた姿で白浜に打ちあがった。
その知らせを受けると母は蒼白になって、変わり果てた仲間の姿を見てその場で泣き崩れた。
そして母の胸にふつふつと湧き上がってきたもの。
鋭い眼差し
普段の母からは想像も付かないほどの。
「・・・・母(はは)さま?」
白い腕にそっと触れた。
いつもなら微笑みかけてくれるその顔が、こちらに向けられることはなかった。
抜けるような青空の向こうから
暗雲が迫っていた。
そして嵐はやって来る。
暗雲の空の下
降りしきる雨/吹き荒れる風の中
紅い歌が始まる。
わたしは 海の女神の化身
月の光に誘われて 海の水面(みなも)から生まれたの
夜なら満月 岩島に腰かけて
昼なら青空 白い白い砂の上
まだ見ぬあなた 銀の舟で迎えにきて
わたしは ここに
ここに いるのだから
美しい人魚たちは絶世の美貌をもってして男たちを手招きする。
手を伸ばしたが最後。
カッと目を見開いて、怒りに歪んだ顔で腕を掴んで次々と海へと引きずり込む。
そうして引き裂かれる腸
真っ赤に染まる海
たちまち海は復讐劇の惨状と化した。
圧倒的な優勢さで勝ち誇った人魚たちは
勝利の美酒、御馳走に酔いしれた。
それは他ならぬ人間の血、肉そのものだった。
「・・・・・きみも参加したのか?」
語られる物語は、子どもを怖がらせるおとぎ話か。
もしくは、各地方に残る伝説のようだった。
だが、彼にとってはそれが現実で。
すべてだった。
「いいや。」
彼は否定の意を表すように目を閉じた。
「まだ小さかったからね。あの頃は。危ないからと、ひとり浜に残された。」
一人残されたぼくが、どんな思いであの嵐の一夜を過ごしたかなんて、あの人は知らないのだろうね。
彼はそう言って微笑んだ。
柔らかに
穏やかに
美しく。
夜が静かに濃くなってゆく。
哀しみへの物語が、途切れることなく語られてゆく。
そう。
まるで、唱うかのように。
* * *
ワトソンの過去編。
もうちょい続きます。
思いのほか長くなったのでこの辺で一回アウト^^;