私は、あの木彫の鏡越しに彼と向き合っていた。
まず、彼は泣きそうな顔になって。
『ぁ、あ・・・ご、めんなさぃ・・・・・・』
狼狽し、謝罪をしたが。
「・・・? 君、何故謝るんだい?」
何に対する謝罪なのかがよくわからなくて、問い返すと。
『え、あ、だって・・・その、勝手に君の部屋に居るわけ、だし・・・・・・』
視線を彷徨わせ、俯き加減にそう告げた。
私は軽い溜め息を吐いて。
「・・・この通り、この部屋は一人で住むには広すぎる。部屋も一室余っているし、同居人を探しもしたが。」
彼がゆっくり顔を上げていく。
ガラスの様に透き通った茶色の瞳が。
「私は偏屈で感情にも疎い変わり者だ。」
とても、美しかった。
「・・・それでも良ければ、ここで好きにしてるといい。」
驚いて見開いた瞳に踵を返し。
「それで? 何かリクエストはお在りかな?」
愛器を手に、もう一度振り返る。
『あ、じゃ、じゃあ・・・メンデルスゾーン・・・・・・』
鏡の中の彼は少し肩から力を抜いて、ほんの少しだけ微笑んでいた。
静かな夜に、静かな旋律が響き始めた・・・
次の日。
『あ、おはよう・・・えーと?』
あの、部屋中に静かに響き渡るような声に挨拶された。
「ああ、ホームズだよ。シャーロック・ホームズ。君は?」
そういえば、まだ互いの名を明かしていなかった。
『ぼくは、ワトソン。ジョン・H・ワトソン。』
おはようホームズ、と。にっこり笑って言う彼は本当に嬉しそうだった。
だから、私もなんだか嬉しくなって。
「おはよう、ワトソン。」
鏡に映る彼に、至極穏やかに挨拶を返した。
鏡の前に立つと、ちょうど映ってる彼と向き合う感じになる。
本来、自分が映っているべきそこに違う人物が映っているというのは傍から見れば奇妙な光景だろうが。
私は、まるで間違いだらけの間違い探しのようだと思いながら鏡の中の彼を見る。
少し灰色がかった茶色い髪。近くで見るとふわふわとした猫っ毛であることがわかる。
ぱっちりと開いた瞳は水晶の透明度を思わせる茶色───昨夜は気づかなかったが、光の当たり方によって淡いエメラルド・グリーンに一瞬なることがある───そしてそれを惹き立たせる色白の肌。
表情へと漏れ出る穏やかな雰囲気は、人当たりの良い性格を表している。
自分より少し狭い肩幅、随分と低い身長。
その為、彼は私を大きな瞳で見上げてくる。
もう少し、彼を見ていたい気もしたが。
「すまない、ワトソン。少しだけ退いててくれるかい?」
このままでは身だしなみを整えられない、と言うと。
『あ! ごめん、ホームズ!』
彼は慌てて鏡の中から消える。そこに映るのは自分の姿。
が、たとえ目に見えずとも彼がまだ私の側にいることは知れた。
あの、陽だまりのように優しい空気をすぐ隣に感じる。
その証拠に。
『ホームズ、何処かに出かけるのかい?』
鏡の端に、ワトソンが目から上だけをひょこっと出してきた。
何度かパチパチと瞬きをする様は、その童顔故か、いかにも幼くて思わず笑みが零れた。
「ああ、ちょっとね。夜には戻るよ。」
『仕事?』
「まあね。」
そのとき、ノックが聞こえ、下宿の女主人であるハドソン夫人が朝食を持って入ってきた。
「おはようございます、ホームズさん。」
「おはようございますハドソンさん。」
ハドソン夫人は鏡を見ても何も反応しなかった。
もちろん、鏡にワトソンは今もしっかりと映っているのだが、どうやらハドソン夫人には見えていないようだ。
テーブルの上に、私の分だけの朝食が置かれる。
「さあどうぞ。冷めないうちにおあがりください。」
「あ、ああ、ええ。」
ちらりと鏡を見遣れば。
テーブルの上の朝食をぼんやり見つめている彼を見つける。
昨夜、そんな様子の彼を淋しそうと形容したが、今は違う。
虚構だ。言い知れ得ぬ虚無感。
先ほどまであんなに輝いていた茶色の瞳は見る影も無く。
鈍色の瞳が、それこそ鏡のように事物を映しているだけだった。
私は椅子に腰を下ろすと、ちょうど出て行こうとしていたハドソン夫人を呼び止めた。
「ハドソンさん、次の食事から二人分の食事を用意してくれますか?」
「は?二人分・・・ですか?」
突然の下宿人の不可解な発言に、夫人はぽかんと口を開けていた。
もう一人、鏡の中の彼も同じく、いやそれ以上に口を開けていた。
驚きの表情を見せる瞳に、光が戻ってくる。
「ええ。二人分です。これからは、どうにも必要なんです。」
下宿人の奇妙な圧しに、夫人は首を捻りながらもはあ、と承知した。
『・・・・・・ホームズ・・・』
ハドソン夫人が出て行ったあと、部屋に呆けた声が響いた。
「今朝はすまないね、君の分がなくて。」
私が詫びると、ワトソンは呆けた顔をそのままにふるふると首を横に振った。
『・・・ぼくは食べなくても平気だよ?それにあんなこと言って・・・怪しまれたらどうするのさ・・・・・・』
その声は、嬉しさと困惑が入り混じっていた。
俯いてしまった顔/見えない瞳
だから、それを喜びへと変えるためにありのままを告げる。
「君は僕の同居人だ。僕の分の食事があって君の分は無い、なんておかしいだろう?」
『ホームズ・・・』
水面のように光を弾く瞳が垣間見える。
「さあ、こっちに来て掛けたまえよ、ワトソン。今朝は食事中の僕を見せることしか出来ないがね。」
悪戯めかしてそう言うと、彼は苦笑いを浮かべて鏡から歩み消える。
『・・・少しくらい、分けてくれたっていいだろ。』
同居人なんだし、という声が響くと同時に目の前にあった椅子が引かれ、カタンと軽く引き寄って落ち着いた。
クスクスと、笑い声が絶えず漏れる。
そんな、朝だった。
朝食後、ワトソンに言っていたように私は街へと外出した。
依頼された仕事の情報収集をするためだ。
私は黙々と通りを歩いている。
だが、何故か後ろが気になるのである。
私が歩いている表通りは往来の激しいところだから、背後に人がいてもおかしくない。むしろ居ない方がおかしい。
しかし、気になる。
どうも、誰かにつけられてるような。
だがそれは日頃感じる嫌な気配ではなく、とても穏やかなもので。
それがさっき部屋に置いて来たはずの同居人に似ているから、余計に気になるのである。
暫くその状態で歩き続けていたが。
ふと横にあるショウ・ウインドウに映るものを見つけてハッとする。
映っているのは自分。そして通りの景色に人々、そして───・・・
────ワトソン?
自分よりも少し後方に、ワトソンが映っていたのである。
付かず離れず。
時折ついて来るのを躊躇うかのように立ち止まって。
しかして歩き出し、とてとてとついてくる。
フッと笑って振り返る。
人々ひしめき合う雑踏に。
そこに、その人の姿は無かったけれども。
空気が、纏う木漏れ日がそこにある。
「ワトソン───・・・」
その名を呼べば、驚いて狼狽するのはもう周知の事実。
きっと、バツの悪そうな顔で泣きそうになっていることも。
柔らかい空気が雑踏をすり抜けて近づいてくる。
人を掻き分け、歩み寄ってくる姿が鏡などなくても見えるようだった。
私の目の前に彼が来て。
それがショウ・ウインドウに映っても、やはりそんな彼が見えているのは私だけのようだった。
『・・・ごめん、ホームズ。その・・・』
「ついてきたのかい?」
こくり、と俯いたまま答える、そこにあるであろう背中を抱いて───実際、彼に触れることは叶わないのだが───
再び歩き出せば、目を見張ってこちらを見上げてくる、顔。
「僕はいま諮問探偵というヤツで情報を集めてるんだ。・・・手伝ってもらえるかな?」
見張った目を一度ぱちっと瞬きすると、今度は満面の笑顔になって。
『もちろん!!』
そう答えてくれた彼と共に。
一人で歩いていた時よりも軽快な歩調で。
『私たち』は歩いていった。
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このたびも消化不良。。。
ああ〜〜〜〜ダメです!!(><)!!
今回はあえていうなら「ワトの動き」。
『とてとて』はわたしの夢でした!!(ぇ)
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