「気が付いたか?」

 うっすらと開けられたスモーキークォーツの瞳に、ルパンは優しく声を掛けた。

 まだどこかぼんやりとした視線が、自分を捉えてゆっくりと瞬く。

 「もう、大丈夫だ。 出血の割に傷自体は大したことなかったそうだよ。」

 担当した医者の言葉を繰り返す。

 そう。 派手に出血した割に、傷自体は命に拘わるようなものではなくて。

 一日経過を見れば、明後日には退院して、自宅療養で構わないということだった。

 「良かった・・・。」

 小さく息を吐いて、そっと彼の額に唇を落とす。

 目を合わせれば、彼はほっとしたように微笑んでいた。

 「これから一旦家に戻って、お前の着替えを持ってくる。 もう一眠りしているといい。」

 そう告げて、離れようとしたら。

 くんっ・・

 「?」

 彼の手が、服の裾を握っていた。

 思わず口許が綻んで、

 「これは貸しだからな。 あとで倍返ししてもらうぞ?」

 と告げると、一瞬で青褪めた彼は、ぱっと手を放して頭から布団を被ってしまった。

 

 

 

 M e p r i s e ・ 2

 

 

 

 そういえば、彼はどうしているだろうか?

 自宅へと足を向けながら、思い出すのは自分の伝記作家。

 あのとき、確実にキスするところを見られていた。

 普段無表情な彼の顔が、更に冷たく凍り付いていたことを思い出す。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 「寄っていくか・・。」

 くるっ と向きを変え、彼の家に向かって歩き出した。

 傷ついた顔をしていたのは、妬いてくれたと思っていいのだろうか?

 でもそのくせ、平気な顔で自分とあいつを見送った。

 まああの場合、状況が状況なだけに、当たり前といえば当たり前なのだが・・。

 でも、それが何だか癪に触る。

 きみにとって、僕はどの程度の男なんだい?

 考えるにつれて苛々が増してきた。 自分勝手とは思うけれど抑えられない。

 そうして、ルブラン邸に着く頃には、何故か怒り心頭に発していた。

 

 

 

 

 「モーリスッ!」

 いつものように窓から書斎に入って、ふと、違和感を覚えた。

 事件があったのは昼間。

 今は夜。

 彼は、もうとっくに帰ってきているはずで・・。

 書斎が真っ暗だということは、彼はもう寝室にでも行っているのだろうが・・・。

 それなら何故、カーテンが引かれていない?

 たったいま入ってきたばかりの窓を振り返ると、夜には必ず引かれているはずのそれが、両脇に綺麗に纏められていた。

 何故か、 じわり と身体の奥底から言いようのない不安が込み上げてきた。

 何だろう?

 気のせいだと思いたくて、急いで彼の寝室を覗いた。

 穏やかな寝息が聞こえてくるはずのそこは しん と静まり返って、暗闇の中、窓から皓々と月の光が差し込んでいた。

 その、彼の肌を思い起こさせる月光の青白さに、 す と指先が冷えてくる。

 嫌な、嫌な夜だ・・。

 禍々しいほどの、月の蒼さだ・・。

 心臓が、やけにどくどくと脈打ってる。 悪い予感がするときはいつもそうだ。

 そして、こういうときは、いつだって必ず当たるんだ・・。

 ぐっ、と冷えた両手を握りしめた。

 もしかしたら、また風呂に入ったまま、寝こけているのかもしれない。

 もしそうだったら、彼を思いっきり抱き締めて、キスをして、叱ってやろう・・。

 足元から這い寄る恐怖を抑え付け、縋る思いで浴室まで走る。

 ばんっ と乱暴に開けてみれば、真っ暗なそこからは寒々とした空気が流れてきた。

 「・・っ。」

 叫び出しそうになるのを堪えて唇を噛み締めた。

 ああ・・・。

 そうさ。 分かっていたじゃないか。 この家に、自分以外の気配は一つもない。

 ああ。

 そうだ。 さっきも思ったじゃないか・・・。

 こういうときは、いつだって当たるんだ。

 心臓が、早鐘のようじゃないか。 指先が、氷のようじゃないか・・。

 「モ・・リスッ・・・」

 一体きみはどこにいる?

 まさか、あれを見て、また失踪したんじゃあるまいな?

 以前のように。 また、誰もいないところに行きたかった、なんて・・。

 いや、違う。

 彼は、 『帰る』 と言っていた。

 『このまま家に帰る』 と。

 なら、彼は帰ろうとしていたはずだ。

 ここに・・!

 その途中で、何があった?

 僕と敵対する奴らにまた攫われたか?  でも、そんな報告は来ていない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 「モーリス・・?」

 最後に見た、彼の姿を思い出す。

 「・・・っ!」

 まさか! まさかまさかまさかまさかまさかっ!!

 あり得る事実に行き当たって、愕然とした。

 だってそうだ。

 どんなに護身術を身につけていようとも、彼も自分からすれば一般人とさほど変わらない。

 それが、あの事故に行き当たって、無事だったと?

 自分たちとさして遠くない場所にいて、無傷で済んだと?

 馬鹿な!!

 何で、気付かなかったのだろう・・・!

 『大丈夫』

 こくり と頷く、無表情な白い貌。

 あの中に、どれだけの痛みを押さえ込んでいたというのだ・・・!

 ぎりっ・・・と奥歯を噛み締めた。

 己の馬鹿さ加減に握りしめた拳が震える。

 無表情で無口で、そのせいで友人に乏しいくせに、何故か自分のことよりも他人のことを気に掛ける。

 その彼が、あの状況で自分のことを口にするわけがないだろうに。

 「モーリス・・」

 祈るように、彼の名前を呟いた。

 そうして、何かを振り払うかのように、 ふるっ と頭を一振りして。

 次の瞬間には、瞳に強い灯を宿して・・。

 向かう玄関。

 主がいるときは、不用心にも鍵の掛かっていることのない扉は、今はその役目をしっかりと果たしていて、それが無性に切なかったけれど・・。

 

 

 そして、闇夜に甲高い指笛が響き、深夜の街に、作家探索の命が発せられた。

 

 

 

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