タナバタ(前編)
「明日はタナバタらしいな」
窓辺に寄りかかりながら、グレグズンが煙草の煙を吐き出しながら言った。
「…?なんだ、それは」
聞きなれない言葉に眉を上げて聞くと、グレグズンが言った。
「天の川の端と端に恋人同士がいて、一年に一回七月七日の晴れた日だけに会えるんだと」
東洋の話だとさ。
そんな風に締めくくられて、何も言わずに空を見上げた。霧の都の名称に相応しい濁り曇った空がそこにはあった。
「一年に一度しか会えないのか?」
何でだ?
そう聞くと、相手は肩を竦めて言った。
「さぁ?」
忘れた。つーか知らん。
なんともいい加減な返事が返ってきて。
なんだ、それはと思いながら再び空に視線を上げると。
「…でもまぁ、羨ましいけどな」
そんな呟きが耳に届いた。
「…?一年に一度しか会えないのがか?」
尋ねたが、返答はない。変わりにいつもの曖昧な笑顔が返された。
恋人になったのはつい最近。
だからといって、何が変わったわけではない。
相変わらずグレグズンは仕事をためまくるし、俺も相変わらずあいつを怒鳴るし。たいして表面上の関係は変わっていない。
ただ。
一服しているときの静かな会話や。
ふと目があった時の視線の柔らかさや。
時々、降ってくる唇は。以前には無いものだったことは確かで。それはいいのだが。
しばしば。
グレグズンの目は。遠くを見る。あまりにも届かないような先に、その視線が向けられる。
何を見ているのか分からない俺は、その姿を見ているだけで。
奴がどこにいるのかわからなくなる。
ほんの時たま見せるその顔を、昨日あいつはしていた。
夜も更けたヤード。
外では雨が降っている。
ざぁぁぁぁぁぁと、鼓膜を叩く雨の音。
仕事場に戻ると、当たり前だが誰もいなかった。仕方なく帰ることにして。
傘を片手にヤードを出た。
ちらりと上を見上げると空から止めどなく銀糸が降り注いでいる。
足元で水溜りから雨が跳ね返る。
空に当たり前だが星はひとつも浮かんでいない。
そして。
その雨の中。
傘も差さずに上を見上げて立ち尽くすあいつを見つけた。
「な――…」
呆気にとられて言葉を失った。いつからそこに立っていたのかは知らないが、全身から雨が滴っている。
上を見たまま動かないその姿を見て、傘を片手に俺も立ち止まる。
動かなかったその視線が、ふいと初めて逸らされてこちらを見た。
「…よぉ」
一言。軽く手を上げてグレグズンが言った。
「…何してる?」
「…んー…?」
雨が滴り落ちる暗い空の下。
あまりにも当たり前のセリフをグレグズンが返した。
「…雨降ってるなー…って」
そんなことは言われなくてもわかる。わかっている。その状況下で何を言うんだ、お前は。
「…会えないんだわなぁ…」
「何?」
「…ん〜?お空の二人」
「ああ…」
天の川の恋人たちか。
「雲の上は晴れてるだろ」
大体、世界中全部が雨なわけじゃないだろうが。
なんて言葉を出せば。そりゃあそうだという呟きが耳に届いた。
「たださぁ…」
「ただ?」
「………羨ましいと思ってよ?」
何?
「一年後に絶対に会える保証があるなんて、羨ましいデショ」
―――…。
「ただ、そんだけだけど」
言いながら雨に相変わらず打たれたまま懐から紙巻煙草を口に銜えて、
ああ火が点かないなどと呟きだしたグレグズンに黙って近づくと、傘を差し出して横に立った。
「ああ、アンガト」
言いながらシュッという音と共に一瞬、オレンジ色の光が点いて。
何となく、わかった気がした。
時々、遠くなるこいつの視線がどこを見ているのかが。
きっとそれは、遠い遠い。『アト』の話――。
「…グレグズン」
「ん?」
「俺は別に保証なんか必要としないぞ」
傘の中。見上げて言えば、髪から水滴を垂らせながらグレグズンがこちらを見た。
雨の音が回りを遮断して。他に誰もいないような錯覚に陥る。
「別にお前といられるなら今があって、それが続けばいい」
「…そっか」
煙草から、細く紫煙が立ち上って消える。
「そうだ」
「そっか」
「…いい加減に行くぞ」
ぐいと、冷え切ったグレグズンの腕を掴んで歩き出す。
「…なぁ、レストレイド?」
「…なんだ」
「…アンガト」
冷えた指がするりと手を握り返した。
雨の音がまだ響いている。