アンベル家の執事、オクターブの朝は早い。

夜も明け切らぬうちから床に伏せた主人に代わって屋敷の雑務を一人黙々とこなしている。

だからその日の朝は驚いた。

いつもは日が高くなるまでベッドの住人と化している主人の愛孫が、自分より早く起きていたのだ。

「ヴィクトール様?こんなに朝早く・・・どういう風の吹き回しです?」

ノルマンディに嵐を呼ぶ気ですか、と言えば顰め面でぶっきらぼうに

「べつに・・・ああ、そうだ。兄さん、帰ったよ」

「は?帰った?」

ヴィクトールの意外な言葉にオクターブは目を丸くする。

「うん、昨晩、急にね。君にもよろしくって」

畳み掛けるようにそう言われて、オクターブは『何故?』と尋ねる機会を逸してしまった。

「あ、はぁ・・・そうですか、それは残念で・・・ああ、それで起きてらしたんですか?」

昨夜、お見送りを?とのオクターブの言葉に

「まあね」

ヴィクトールの返事は、何故か歯切れが悪かった。

 

 

 

二つの茶水晶・��


〜バーネット・ベシュー探偵社〜

 

 

 

明け方のヴィクトールの様子に、オクターブは首を傾げていた。

こちらにベシューが来てからというもの、彼は目に余るほどベシューのことを慕っていたはずなのに。

急に帰ってしまったと言ったときの彼は、ベシューのことなどもう話したくないといったそぶりだった。

 

慕っていたのは演技で、やはりベシューのことを疎んでいたのだろうか?

しかしいきなり帰られて、単に不貞腐れているだけかもしれないし、居なくなった淋しさを紛らわす為のものかもしれない。

顎に手を当てながらそんなことを考え、紅いビロードの廊下を歩むうちにふと。

見慣れたはずのその紅の絨毯に、本能的に違和感を感じた。

 

どうもいつもと違うような・・・・

もう夜も明けきり、完全な朝となった今ではメイドたちの清掃も終わり、いつもどおり小奇麗になっているはずなのに。

どこか視界にムラを感じる。

 

汚れている、のか?

おそらくそれはハウスキーパーをしている執事であるからこそ気づけたのであったのだろう。

しゃがみ込み、さわりと床を撫でた。

そして一瞬にしてその表情を険しいものに変えた。

 

ぐるりと方向転換すると、急いで自身が宛がわれている部屋へと飛び込む。

扉にしっかりと錠を掛けると、本棚へと向かう。

ぎっしりと敷き詰められたその一冊に手をかけ、押す。

すると棚の一部が平行移動し、そこに電信機が現れた。

すぐさま電信を打とうとして、オクターブは手を止める。

 

電信が入っている。

すぐさまそれを読み解き、オクターブは舌打ちする。

「・・・・もっと早く気がついていれば!!」

 

ドンッ

 

白くなるほど握り締められた拳が、良質に磨き上げられたマホガニーを叩いた。

 

 

 

***

 

 

 

「相も変わらずお美しいことで、オルガ夫人」

「まあ、あたしは今は夫人じゃなくてよ?ムッシュー」

 

ざわめき収まらぬ舞台裏。

オルガと呼ばれた女性が形の好い眉を上げて、立てた人差し指をチッチと振る。

「これは失礼、マドモアゼル・オルガ」

折り目正しく身を引いた男はバーネット。

「それで?今日はあたしに何の御用かしら?」

腰に手をあて、バーネットを見上げるオルガには、軽率な男どもなど目にもかけない力強さがあった。

それだけ、彼女は生命力に溢れ、魅力的な女性だった。

たいていの男たちは彼女の芯の強さの前に鼻白んで退散するのがオチだ。

 

「それは場所を変えてお話しましょう」

そんな彼女に敬意を表し、バーネットは洗練された動きで彼女をエスコートした。

 

 

「ベシューの親族?」

「ええ。貴女なら何かご存知なんじゃないかと思いましてね」

二人は劇場前の噴水前へとやって来た。

公演の終わったその場に人はまばらで、内輪の話をするには調度よかった。

バーネットは噴水前のベンチへ腰掛け、オルガは噴水の細い縁の上でステップを踏みながらバランスを取る。

アクロバティックな動きを得意とする彼女のプロポーションは湧き出す水を背にいっそう良く映えて見えた。

「ベシューに何かあったの?あったのね」

彼女は一人で問い、一人で答えを出した。

くるりと器用に体を回転させて肩をそびやかしてバーネットを見ねめる。

バーネットは軽く肩を竦めただけで答えなかった。

探るような瞳もかわして、涼しい顔でオルガを見る。

 

譲らない二人の間を、風が駆け抜けた。

 

「いいわ。べつに。実際あたしも詳しく聞いてるわけじゃないし、何となくな範囲だけど」

ほんとうに、きちんと聞いたわけではないのよ。

そう念を押して、彼女は話し始めた。

 

 

オルガの母とベシューは結婚前から頻繁に会っていたが、オルガ自身はベシューの両親と会ったことは無かった。

普通であれば『ベシュー、アンタの親にも会わせて』という話が出てきてもおかしくないのだが、

何故かベシューとオルガの間でそれが話題に上ることは無かった。

わざと避けている風ではないのだが、なんとなく、雰囲気でオルガもそれを話題にしなかったのだ。

けっきょくオルガはベシューの両親については何一つ知らないままベシューと結婚した。

当時ベシューはすでに刑事で、結婚相手としては何の問題も無かったからそのまま結婚できたのだ。

 

そしてオルガとベシューが結婚して間もない頃。

当初、二人で新婚生活を始めるつもりだったのだが、オルガが母は一人身だと言うと、

ベシューの方から熱心に『一緒に暮らした方が良い』とオルガの母親に言い募った。

新婚夫婦の処と最初は遠慮していたオルガの母も、ベシューの熱心さに折れて一緒に暮らすことにした。

一緒に暮らしている間も、オルガの母に対する甲斐甲斐しさといったら他になかった。

オルガの母も良い息子ができたと言って喜んでいたし、何よりオルガ本人も嬉しかった。

自分の大事な母親を、自分同様に大事にしてくれることが嬉しかった。

 

ただ、ひとつ気になったのは。

 

 

『 おかあさん 』

 

 

オルガの母を呼ぶときのベシューの声が、その表情が何とも言いがたい空虚に満ち溢れていたことだ。

 

 

「ねぇ、ベシュー。あたしのママを大事にしてくれてすごく嬉しいわ。だからあたしもアンタにお返ししたいのよ」

それは暗に、『アンタのママは?』と尋ねていたのだが。

ベシューはただただ柔和に微笑むだけで答えなかった。

 

「君と君のママが居てくれるだけで、僕は満足だから」

 

月並みな言い方だわ。

怒られた子どものような気持ちになって、オルガはベシューを見ずにそう言った。

しばらくしてそろりと見上げると、本当に、たゆたう布のように柔らかに微笑んだベシューの顔がそこにあった。

 

 

「ベシューはママを好きだったのよ、きっと」

話し終えたオルガは噴水の水面の波紋を見つめながらポツリと言った。

「───君のママを?」

ベンチから立ち上がったバーネットは噴水の縁の上のオルガを見上げる。

「違うわ。ベシューが、ベシューのママを、よ」

だけど、とオルガが呟いた。

 

「ベシューのママは、ベシューのことを好きじゃなかったのかもしれない」

 

あたしの知ってることはこれだけ。そこから考えたこともこれだけ。

そう言うが早いか、タンッと噴水の縁から踏み切った彼女の体が宙を回転してバーネットの背後に猫のごとく着地する。

「マドモアゼル・オルガ」

バーネットの呼びかけに振り向くことなく、オルガが背を向けて歩き出す。

 

「あたしはあたしのママが好き」

一足、一足、ゆっくりと。

「でももし、あたしのママがあたしのことを好きじゃなかったら」

午後の余暇の陽炎に、ゆらゆらと。

「あたしだったら」

 

 

「泣くわ」

 

 

バーネットはもうオルガを呼び止めなかった。その背中を静かに見送った。

いっそ清々しいまでに晴れ渡った、気持ちの良い午後のはずなのに。

突き抜けるようなその空の青さに、バーネットは淡い悲しみを覚えていた。

 

 

 

***

 

 

 

バーネットの事務所の隠し部屋で。

部下のジルベールはノルマンディ方面に散っている仲間に電信で連絡を取っていた。

 

本来こういうのはマズルーのヤツ仕事のような気もするけど。

 

だが緊急を要する今、そんなことを言っている暇は無かった。

これでベシューが無事でない日には我が盗賊団は壊滅的被害を受けそうだ。

どんなに悪人でも、情だけはある人だからな───

そんな彼に惚れ込んだからこそ自分は付いて来たのだが。

フッと苦笑が漏れるのと、ノルマンディの財力のある家に入り込んでいる仲間からの電信が着くのは同時だった。

突然の情報に、ジルベールは知らずその身を乗り出していた。

 

 

『 イトシ ノ ALN ヘ
               ベシュ ココニ アリ
               サクヤ ユクエ シレズ
               アサ ユカ 二 ケッコン ハッケン
               シキュウ コラレ タシ                    N・R=O.  』

 

 

「朗報と凶報が同時かよッ・・・・!!」

弾丸の如く、ジルベールは部屋を飛び出していった。

 

ジルベールが去った後。

電信機の前に、二つの黒い影が佇んだ。

「N・R・・・ノルマンディ、ルーアンだよね」

「たしかパトロンの親友も、そこの生まれじゃなかったかな」

「そうだっけ」

「そうだったよ」

黒のマニッシュ帽に黒のトランス・アメリカンに身を包んだ二人。

 

「「大儀なことにならなきゃいいね」」

 

同時に呟いて、その場から姿を消した。

 

 

 

NEXT

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ひっさびさの更新。
やっと連載の神が下りてきてくれた(笑)
なんかキャラがいっぱい出すぎて収集がつかなくなりそうですが
がんばりますんで付いて来て下さい(笑)
次はヴィクトールのハッキリした過去と、触れられればベシューの過去、かな?

* * *

ブラウザバックプリーズ!