───どうして裏切るの?

 

だって

僕たちは

 

たった、二人きりの。

 

 

 

二つの茶水晶・��

 〜バーネット・ベシュー探偵社〜

 

 

 

・・・ズッ、ズッ、ズ・・・・・・・

 

豪奢な紅いビロードの廊下に響く、どこか厭な音。

 

・・・ズッ、ズッ、   ・・・ ・ ・・  、ズルッ・・・・・・・

 

ああ重い。

重いなぁ。

どうしてこんなに重いんだろう。

死んでしまったわけではないのに、ああ重い。

 

───死んでしまったのだろうか?

 

不意にそんな思いが過ぎり、怖くなって慌てて兄の顔を覗きこんだ。

「兄さん?」

覗き込んだ兄の瞳は廊下に敷かれた紅い絨毯を見ていたが、こちらの呼びかけに視線を移した。

 

ああよかった。

生きている。

 

ホッと胸を撫で下ろすと、再び重い体をズルズルと引きずり始めた。

ぐったりとして動かない、兄、ベシューの体を。

 

 

 

バーから戻った夜。

弟である自分がどんなに懇願しても聞き入れてくれなかったあの夜。

手紙を書くからと兄はすぐに自室へと引き上げた。

 

手紙。

パリにいるという探偵とやらへ、予定通り帰るとでも綴るのだろう。

そうなのだと思うと腸で、耳元で、脳内の何処かで。

轟々と炎が燃えるような感覚に襲われた。

それを感じることはとても悔しく、腹立たしく、泣きたくなった。

拳を握り、唇を噛み締めた。

また先ほどと同じ問いが、後から後から降っては湧いてくる。

 

なぜ、ここではいけない?

なぜ、弟である僕では足りない?

なぜ、兄はパリに『帰る』のだ?

 

兄が『帰る』のはノルマンディの、肉親の住むこの家であるべきであって、断じてパリなどではない。

そう。

黙っていれば財産だって少量とは言えどかなりの額が手に入る。

そうでなくとも今だってここにいれば金に不自由することなんて無いだろう。

ましてや、そうさせるつもりなんてこれっぽっちも無いのだ。

 

なぜ・なぜ・なぜ

なんで・なんで・なんで

 

どうして。

 

兄は他人を選ぶのだ?

兄は間違っている。

彼の判断は

選択は

間違っている。

 

間違っている。

 

気づけば兄の部屋の前に立っていた。

己の手の中のひんやりとした、この硬い感触は何だろう。

カチャリ。

ノックも無しに開かれた扉の音に、机に向かっていた兄が驚いたように振り返る。

「? ヴィクト、」

 

兄は最後まで僕の名を呼べなかった。

そのときにはもう机の上の絵葉書には鮮血が広がっていた。

 

 

 

もう日付は越えている。

そのままであったら、予定通り明日、パリへと戻ったことだろう。

そのままであったなら。

 

ズ・・・・ズ・・・・・ズ・・・・・・・

 

とうとう邸の外、庭まで兄を引きずり出してきた。

ズルズルと引きずってきた後には擦れるような紅い線が引かれている。

動かなくなった兄は抗うことなく運ばれるも、ズシリと増した重みが唯一の抵抗だったのかもしれない。

おかげで庭の隅の小さな物置小屋に着く頃には、僕は全身に汗をびっしょり掻いていた。

「ふぅ・・・・」

腐りかけた、木戸を閉めた。

 

兄が間違えたのは時間が急いていたせい。

ゆっくりすればきっと大丈夫だよ─────

 

邸内へ入る折、庭の隅の小さな小屋を振り返った。

小屋の中に居る兄を思い浮かべて

僕は我知らずひっそりと微笑んでいた。

 

 

 

***

 

 

 

いま手元にあるのは特殊な薬品で蒼く浮かび上がった血痕を映した彼の絵葉書。

ガリッッ。

強張った手が、何処にも放出出来ずにいる力で机を引掻いた。

 

落ち着け。

 

落ち着け

落ち着け

落ち着け───

 

バーネットは胸に手を当てて数字を数えていた。

一から十まで。

ひとつ数えるごとに動悸が静まり、常の冷静さが戻ってくる。

「・・・・九・・・十。」

スーッとひとつ、大きく深呼吸する。

同時にそこに現れたのはパリを代表する英雄であり、探偵であり、怪盗だった。

ウォーターブルーの目が鋭くキラリと光る。

彼はただ真っ直ぐに虚空を睨んだまま、何処へとも無く声をかけた。

「ジルベール。居るか」

「はい、パトロン」

するとこれまた何処からとも無く声が返って来た。

それはこの部屋の中から聞こえてくるようであり、壁の中から聞こえてくるようでもあった。

「ノルマンディに置いている部下たちに大至急連絡を取れ」

「承知」

フッと気配がなくなると、バーネットは擦り切れたジャケットを羽織り事務室を後にする───

「おまえたち」

部屋を出るとき、彼はそう言って後ろを振り返った。

もちろん、事務室内には誰もいない。

「いつでも動ける準備をしていろ。いいな」

返ってくる声は無い。

構わずに後ろ手に扉を閉めようとしたとき、その背後から声がした。

 

「「どちらへ?」」

 

重なった、まったく同じ音質の声。

「・・・・情報収集だ」

バタン、と扉を閉じる音の向こうで、バーネットの声が低く響いた。

 

「「おお、恐い恐い」」

 

誰もいなくなったはずの事務室からそんな囁きが漏れた。

 

 

 

街はザワザワと人が行き交う。

ここはオペラ座。

フォリー・ベルジェール座。

あらゆるボックス席の、あらゆる観客の視線は舞台上のひとりの女優に釘付けになっている。

逆立ちになって歌うその様も、しゃがれた迫力のあるコントラルトの声も、彼女の気ままな天性を映し出しては人々を魅了する。

 

≪イジドールは・・・わたしを好きなの。 ところがジェームを・・・・わたしは好きなの。≫

 

舞台上、逆立ちしていた女優がくるりと身を返して客席にむかってお辞儀する。

その鮮やかなアクロバットに、迫力ある歌声に、場内は割れんばかりの拍手で溢れた。

 

 

舞台袖、未だ興奮冷めやらず熱気に満ちたそこで彼女は師や仲間たちと舞台の成功の喜びを分かち合っていたところだった。

そこにするりと影のように現れた男が彼女の下へと歩み寄った。バーネットだった。

「相変わらず素晴らしい。真の芸術家でいらっしゃいますね、オルガ夫人」

「まあ!!バーネットさん!!」

目をまんまるにして見つめる彼女に、バーネットはにこりと微笑んだ。

 

 

バーネットに対し驚きの声を上げた、この女優こそオルガ・ボーバン。

いまパリで最も注目されるアクロバット歌手にして、ベシューの元妻である。

 

 

 

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ぃよっしゃー。オルガも出したぞー^^
このままチョイ出で終わる確率大ですが;;;
ああでも彼女も好きなんだよぅ(>_<)

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