ノルマンディで偶然ルブランさんに出会ってからは一緒に茶の時間を過ごすのが日課になった。

弟はルブランさんの妹とよほど気が合ったのか家にまで招待するほどの仲になっていた。

相変わらずマメにバーネットにも手紙を出して。

毎日のほとんどを弟・ヴィクトールと一緒に過ごし。

一日の終わりには必ず祖父・ポールと話をした。

一週間が過ぎ、二週も半ばを過ぎた頃。

 

 

 

二つの茶水晶・��

 〜バーネット・ベシュー探偵社〜

 

 

 

「・・・もうすぐだなぁ」

「はい?」

ベッドに横たわる祖父がポツリと呟いた。

祖父の枕元に座っていたが、聞き取れなくて首を傾げる。

ヴィクトールは後ろにそっと控えている。

彼は気を遣ってか、自分と祖父との会話に加わることはあまりなかった。

「・・・やはりパリに戻るのかい?」

その言葉に祖父の意思を知る。

「ここに居てはもらえないかのぉ・・・・」

節くれだった祖父の手が伸びて頬を撫でる。

淋しそうな明かりの灯った祖父の目に、苦笑いで返すことしかできなかった。

 

ここでの生活が合わないわけではない。

嫌なわけでもない。

祖父に、弟に受け入れられて、これ以上の幸せも無いだろう。

でも自分には。

 

「・・・またすぐ遊びに来ますよ。今度は何かお土産でも持って」

触れられる手に甘んじて、微笑みながらそっと呟いた。

祖父はすこし淋しそうな顔をしたが、「そうか」と笑って静かに目を閉じた。

 

このとき。

祖父の上掛けを直すベシューの背後で、ヴィクトールの茶水晶の瞳が冷たく、濁った。

 

 ***

 

カコン、カンッ。

ゴッ・カ、コロコロ・・・・・

その夜はヴィクトールに誘われてバーに行った。

ビリヤードがあったので弟と二人で静かに立ち合う。

囁くように流れる音楽がとても耳に心地よい、そんなバーだった。

「兄さんってもしかしてビリヤード得意ですか?」

慣れた手つきの自分を見て、ヴィクトールが目をまるくして尋ねる。

「まあ、得意かどうかは置いといて・・・やるのは好きだよ」

その瞬間に狙いを定めて打った玉がまたカコン、カンッと音を立てる。

窮屈そうな音を立ててホールに玉が落ちていく。

「どうりで。上手いわけですよ」

ふぅ、と溜め息を吐いて降参とばかりにヴィクトールが肩を竦めて手を上げる。

不貞腐れたような動作にくすくすと笑いを零すと彼はくるりと踵を返してカウンターへと腰掛ける。

自分も彼の後を追って隣に腰掛ける。

ヴィクトールは子どものように両手で頬杖をつくと、ぼんやりとした声で言った。

「もう明日・・・明後日ですか」

はーっと溜め息を吐く。その理由が解からなくて「何が?」と返すと不機嫌な視線を向けられた。

「明後日には、兄さん、帰ってしまうでしょう?」

そう言われて、ああ、と頭を掻く。

むつくれた顔は不機嫌とは違った感情の裏返しであることは明白だった。

祖父がそうであったように、この弟も自分が帰るのを嘆いてくれている。

それが嬉しく、また申し訳なくもあった。

ふっと陰った思考の淵に沈もうとする前に、腕を掴まれた感触が現実に引き戻す。

腕を掴んだ弟が、こちらをまっすぐに覗きこんでいる。

「兄さん、どうして帰ってしまうんです?」

同じ茶水晶の瞳が、言外で必死に訴える。

「ここは確かに田舎だけれど、過ごしやすいところです。それにお金にだって不自由しない」

まっすぐに、心に直接沁みこむように落ちてくる言葉の、それ以上の雫が。

「ヴィクトール・・・・」

「どうしてです?お爺様は、僕は、何か兄さんの気に障ることをした?言った?」

必死に言い募れば言い募るほど、辛くなってゆくことを彼は知らないのだろう。

事実、語尾から敬語が消え始めてる。

掴まえられている腕が、痛い。

「そんなことは無いよヴィクトール。君にも、お爺様にも、本当によくしてもらったよ」

それは本当。

「なら、何故?」

それならここに居ればいい。

弟の茶水晶はそう言っていた。

 

たしかに、それも一度は考えた。

ここで余生の短い祖父と、そして弟といっしょに過ごすのも悪くは無いだろう。

きっと誰もがそれを勧め、推すに違いないだろう。

金に困る、ということもまず無いのだから。

でも。

それを選ぶには自分はあまりにも。

 

悲痛な顔で縋りつき、言い募る弟にやんわりと微笑みながら腕を掴む手をとる。

「・・・・あまりにも多くの大切なものを、向こうに置いて来てしまっているからね」

 

それは自分との生活よりも夢を選んだ愛しい人だったり

顔を合わせればいまでもすぐにでも笑い話に華を咲かせられる元同僚だったり

いつも大胆不敵に自分を見下ろしていても

何かと手を差し伸べてくれるアクの強いあの男だったりするのだろう。

 

それだけではない、自分を成すものが、あの街にはたくさん在る。

あそこから離れて田舎に引っ込むには、まだまだ時間がたくさんある。

だから。

 

「・・・今度は君がパリに来るといい。喜んで案内するよ」

「・・・・・・」

ヴィクトールは無言で俯いていた。

だが、落ちた前髪の合間から煌めく茶水晶は垣間見えた。

やさしく取った手が、ゆっくりと離れ、下ろされる。

震えながら。

 

そのまま動かなくなった弟の背中を、ゆっくりとさすってやる兄の姿がそこにあった。

しかし兄は知らなかった。

弟のその茶水晶の煌めきが、淀み濁っていたことに。

 

 ***

 

翌日の昼、ルブランは一人歩くヴィクトールに会った。

いつも一緒にいるベシューの姿が無いのを不思議に思って尋ねると、

「今日は加減が悪くて、代わりに僕が」と言って絵葉書をひらひらと見せた。

 

にっこりと笑ったその顔に、違和感を覚えたのは気のせいだっただろうか。

 

「それでは、今日はこれで。あ、ジョルジュエットにもよろしく」

己の横を通り過ぎて歩いてゆくヴィクトールの後姿を見て、ルブランは胸が騒ぐのを感じた。

 

 ***

 

朝靄漂うパリの住宅地。

颯爽とした足取りで郵便受けまで歩みを進めるのはジム・バーネット。

カタン、と音を立てて郵便物を取り出すとザッと目を通してチェックする。

その手から、はらりと一枚の葉書きが零れ落ちた。

「おっと」

いたずらな朝の風にさらわれる前にキャッチする。

同時に目に入った鮮やかなその色に、いつもの彼からの絵葉書であると認識する。

持ち直して、よく見ようと葉書きを裏返す。

一瞬にしてバーネットの表情が険しくなった。

「莫迦が!!この程度の筆跡でこのバーネット様を誤魔化せると思うなよ・・・!!」

低く、地を這うかのように唸ると食い入るようにその絵葉書を鋭い瞳で見つめ、サッと身を翻して事務所内へと入って行く。

そのまま事務室へと入り、机の引き出しから小さな小瓶を取り出す。

中には液体が半分ほど詰まっていて、それは薬品のようであった。

バーネットは相変わらずの険しい表情で、その小瓶の液体をおもむろに絵葉書へと垂らした。

 

 

美しいノルマンディの風景が描かれた鮮やかな絵の上に。

多量の血痕の痕が、青々と浮かび上がっていた。

 

 

 

NEXT

* * *

はぁい、豹変。
展開的には早いかなと思いはすれど。
でもヴィクトールにとっては充分すぎたのです。
次回はたぶんヴィクトールの狂いっぷりと胸の内かな。

* * *

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