おおきなおおきな、月夜。
まるかったから、満月だったのかな。
空は夜だった。
街も夜だった。
閑静な住宅街は小さい頃のわたしの庭。
夜だと記憶しているのに、立ち並ぶ住宅が、道路が、
───せかいが
妙に明度を保ちながら、浮かび上がっていたと思うのは何故だろう?
『牡牛の駆ける月夜』
夜は真夜中、あらゆる眠りは根よりも深く。
月はやけにまるくおおきくて
きっと、山から顔を出したばかりだったのだろう。
月明かりは滲むように蒼く、ぼやけるように黄色かった。
オオオオオオオオオ・・・・・・オオオオオオ・・・・・・
生み出される音は大きすぎて、細い小路の真ん中に突っ立ったわたしの耳には、もう最初の音など聞き取れないのだった。
見上げた視界、正面奥のT字路。
そのさらに向こうには大きく黒い山が、夜の闇にも色濃くその存在を放っていたのだけれど。
地に腰を下ろした山などなんのその───
ドドオオオオオオオ・・・・・オオオオ・・・・・ドドオオオオオオ・・・・・・
T字路を一列に並んで横切って行くのは、山よりも大きく、天高く浮かぶ月をも隠さんと言わんばかりの牡牛たち───
乳牛では無いようだった。
皆、一様に鼻輪を付け、立派な角を生やしていた。
そして、一様に人魚のような下半身をしていた。
前足は、はたしてあっただろうか。
無かったようにも思えるが、だとしても違和感は無かった。
よくよく見れば尾びれのような下半身はヒレではなく、真っ黒な、巨大なひとつヒヅメだった。
オオオオオオオ・・・・・オオオオオオオオオ・・・・・・・
列は乱れることなく、途切れることなく続いている。
わたしから見て彼らは右から左へと動いていた。
わたしは彼らの大移動を離れた所から見ていたような気もするし、またごく近くで首を直角に曲げて見上げていたような気もする。
いずれにせよ、彼らの移動は見た目にも大規模で轟音を立てていたはずなのに、酷く静かに感じられた。
むしろ白い砂埃が大きくなるたびに街はまたひとつ静まり返り、夜はその刻をさらにゆっくりと進めていくようだった。
わたしはどうも、この牡牛たちと二言三言会話をしたようなのだ。
何と話しかけたのかはもう覚えていないが、「何処に行くのか」といった、行き先を尋ねる内容だったことは覚えている。
山よりも大きな彼らとよくもまあ会話できたものだと思うかもしれないが、本当に出来たのだ。
彼らは留まることなく引っ切り無しに動いているし、真白い砂埃もわたしと彼らを阻む。
だが、轟音で響いているはずの地響きはむしろ山一つ向こう側で響いているように感じられ、
わたしと彼らの周囲はじつに静かで穏やかな月の夜であったのだった。
さて、行き先を聞かれた牡牛は、何という答えをわたしにくれたのだったろうか。
道に突っ立ったわたしは今の私のようであり、幼子の私のようでもあった。
大きくも小さくもなれないわたしを、尋ねられた牡牛はたいそう慈愛に満ちた目で眺め、駆け去っていった。
水の膜張る、その瞳で。
話しかけて目線を合わせあう余裕はあるのに、答えをくれるときにはもう相手が数十メートル先に行ってしまってるのは何故だろう。
駆け去りざまに、その牡牛もわたしに向かって何事か言ってはくれているのだ。
だが、靄のように淡い、溜め息のようなそれはわたしの耳に届くことはついぞ無く。
なんとかという処へ、何々をしにいく。
横切る牡牛たちを目の前に、向こうへ渡ることも──と言っても向こう側に道は無いのだが──戻ることも出来ず。
道の真ん中に突っ立ったままのわたしが牡牛の行列の理由について分かったことは、その程度のことだった。
───つまり牡牛たちの行き先も、しようとしていることも、わたしには全く興味の持てないどうでもいいことだったのだ。
わたしの夢はここから突如真昼の寺へと移る。
そこではわたしは遊び盛りの幼子で。
同い年くらいの子どもたち三人といっしょに寺の中を走り回り、遊んだ。
そして夢は終わり朝が来る。
夢ならば夜が明けて昼が来ることもあるだろうが、現実でそんなことは無い。
夜が明ければ朝が来る。
だから安心して
わたしは今日も動き出す。
END
* * *
けっこう前に見た夢。
文中に人魚のようとありますが、トドとか想像していただけると一番分かりやすいかと。
あんな感じで、尾びれじゃなくて黒い一つヒヅメの牛。
姿は荒々しいんだけど、中身はとても穏やかだと感じた。
あの静けさの中、あの優しげな瞳の中に。