その店の店主の顔を、僕は未だに見たことが無い。(番外日本:桃太郎)

 

 その店には黄昏時に行くようにとヤナ兄に言われた。

 重い瓦屋根が印象的なその店には看板が無く、傍目にも分かるほど家の柱が歪んでしまっている。

 開けっ放しの入り口からは薄暗い店舗内が顔を覗かせている。見えるのは所狭しと積み上げられた蔵書の山。

 全集が多いらしくそのほとんどが紐で束ねられ、埃を被っている。

 一目で古書と分かるものが大概だが、店主の趣味なのかときどき今時の書も見受けられる。

 しかしこの店、見渡す限り本で埋め尽くされていて店の本棚はおろか、店主が座っているべき番台すらもその所在が定かでない。

 一歩足を踏み込めばもうそこに立ち尽くして首を巡らすことでしか辺りを窺えない。足の踏み場も無い、とはまさにこのことだろう。

 かろうじて、番台と思しき場所へ通じる道らしきものは出来ているがそれだって崩れた本の山を掻き分けただけに過ぎない。

 店のどこかでドサドサッと本が崩れる音が聞こえた。思わず首を巡らすも、それがどこだかなんて分かるはずもない。

 立ち込める蔵書独特の匂い。このすべてに時という時が詰まっているのだと確信させる。

 

「あのう、もし」

 

 番台が埋まっていると思しき辺りへとどうにか辿り着くと声をかける。

 店の奥にはここの主の生活空間が広がっているのだろうが、視界は見る限り本で埋め尽くされていてそんなものが本当にあるのかさえ知ることは出来ない。

 ここの店主は店舗内には出てこない。というか、店舗内がこの有様では出てこられないのだろう。

 店の主は出てこないから、声をかけるんじゃよ。我(わ)の、柳凪介の紹介だと言えばいい。

 ヤナ兄の言うとおり、僕はあるのか無いのか分からない店の奥へと声をかける。

 

「あのう、もし。店主」

「ヤナんトコの坊か。よく来たな」

 

 不意に蔵書の山から男の声。

 この声の主こそ、ここの店主だ。

 

「そら、頼まれてた本だ」

 

 突然、一冊の草紙を持った真っ黒な影のような手がズボッ、と音を立てて蔵書の中から突き出された。

 それを受け取るとその手はまたすぐに蔵書の中へと引っ込んだ。

 

「あのう、お代は」

 

 手が引っ込んだ隙間を覗き込みながら尋ねるも、その隙間もすでに蔵書によって埋められていた。

 

「ツケとけ。まけといてやる」

 

 埋もれた本の中から声がする。

 本の海原と表現するに相応しいこの蔵書の海からその発信源を特定するのは難しかった。

 

「でも、この間も。その前も、もうずっとツケて貰ってますし」

 

 ここに初めて来たときから、店主にはツケて貰ってる。

 支払いが出来ないわけではない。いつも、それこそ最初のときだってお金はそれなりに持って来ていたのだ。

 ただこの店舗内の有様で金を受け取るのも億劫なのか、店主はいつだって『ツケ払い』でいいと言う。

 まあ確かにこの惨状では金を受け取ってもどこにやったか分からなくなりそうだし、場合によっては更なる惨状をも招きかねないだろう。

 しかしいつまでもツケ払いではこちらも決まりが悪いというものだ。

 どうしたものかと逡巡していると、

 

「そう気にするな。お前の持ってく本に代金なんてあって無いようなもんだ。

 それよりもたもたしてると黄昏時から宵になるぞ。さあさっさと帰れ。さっさと帰れ」

 

 そう言って店主は急かし立てるように僕に帰宅を促した。

 僕がありがとうございますと言っている間も、店主は宵になる、夜になる。さあ帰れ帰れと囃し立てていた。

 この店は日の入りと同時に店を畳むのかもしれない。

 僕は足早にその場を後にした。

 

 この店がある通りはいつもは暗くなっても人通りの多いところであるのに、この店を訪れ、帰るときには何故かいつも人っ子一人いない。

 夕焼けがいやに紅く、それに焼き出される影は先ほどの店主の腕のように真っ黒だ。

 時間も、それこそ空気さえも止まってしまったように動かぬ街角に、奇妙な違和感を覚える。

 不意に板塀に沿って細い小路へと向きを変えた。

 あの店に行くときは往きも帰りも黄昏時の、この小路を通って。

 何故そうでなければならないのか僕にはとんと見当つかぬが、ヤナ兄がそう言うのだからそうした方がいいのだろう。

 家と家の間にあるその板塀に挟まれた小路にはいやに紅い夕日も差し込まない。

 薄暗いその小路を抜けると、ガヤガヤと人が往来する夕暮れ時の騒がしい大通りへと帰ってきた。

 その度に僕はホッとした気持ちになって、ようやく落ち着いた面持ちで帰路に着く。

 いつのまにか後ろから、ひたひたとついて来る面影の足音が聞こえてきていた。

 

 最近気づいたことなのだが、そういえば日中ここの通りを何度か通ったことがあるが終ぞこの古書店を見かけたことは無い。

 ではあの店のある場所には何があるのかと通りを通って見てみたが具体的にはっきりとあの店がある場所はここだと特定することはできなかった。

 たしかに同じ通りであるが、それだけ黄昏時のあそこと昼間の此処とでは違うのだ。

 ヤナ兄に一度あの店の店主はどんな人なのだと聞いてみた。

 

「人ォ?」

 

 すっ呆けたような声の後に、カカカカカ、とヤナ兄は笑った。

 

「あれは本の虫さね。いつだって本の中から出てこん。

 あれとはそこそこの付き合いだが我(ワ)ァだって未だ顔も見たこてゃあありゃせんよ」

 

「・・・・ヤナ兄も見たこと無いの?」

 

 要領を得ないところもあるが、つまるところヤナ兄も店主の顔を見たことが無いということらしい。

 なるほど、本の虫と言われるほど本が好きならばそれも仕様の無いことかもしれない。

 ふぅん、と生返事をして僕は踵を返した。

 さあ、あの店から買ってきた本を読むのだ。

 

「鬼を連れて歩いとるくせに、鬼と人が判らんと見える。おかしな子だァの」

 

 はたはたと扇を返しながら呟いた柳凪介のおかしそうな声は、心逸る桃太郎には届かなかった。

 座敷へと消えていく桃太郎の足音を追うように、床下からはずるずると這い回るような音が聞こえた。

 

 

 それからも僕は度々あの店に通ってる。もちろん行くのは黄昏時だ。昼間に行ったって行けやしない。

 ヤナ兄に教えてもらったこの店を、僕はいつからか勝手に『黄昏屋』と呼んでいる。

 ちなみにいつもここの店主は『頼まれてた本だ』と言っては本をくれるが、僕がここの店主に本を頼んでいた覚えは、一度だって無い。

 

 

 

 END

 もちょっと短くまとまる予定だったんだけどな。
 大部分の人は忘れてると思われますがオリジナル日本もといハルヒのバックボーンです。
 世界観が微妙に海外19世紀とは違うのでどうかと思いつつハルヒのバックだしなァと思って未だに19世紀に在籍してます(苦笑)
 どっちかっつーとモノ化けの世界だもんね。不可思議難解魑魅魍魎的な。
 まあそれ言ったらドリバジも他の19世紀系とは違うか。彼らの死後の話だからなあれは(笑)
 まあいっかァ。ホムズのパスティーシュも幽霊とか吸血鬼とか出てきてるしな!(笑)
 ちなみに『黄昏屋』の店主は本の虫という名の妖怪です。まんまやな。

 

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 07.12.15.TOWEL・M