<思想に微睡む5つの言葉>

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02 何ができるわけでもないが、何もできないわけじゃない。(ボズウェルたちの対談)

 

いつもより回診も早く終わり、221bの下宿への帰り途をゆっくりと歩いていた。

何の感慨も無く通り抜けて行く街の雑踏の中、街灯に寄りかかって物憂げに佇んでいる人物が目に留まる。

「・・・・?」

どこかで見たことがあるような気がする。

いったい何処で見たのか、じっと見ながら考えていると、不意にその人物が顔を上げ、目が合った。

じっと見ていたことを失礼だと思い、一度慌てて目線を逸らした。

そしてもう一度そろりと視線を向けると、その人もまたこちらをじっと見つめていた。

黒い瞳はホームズに似ていたが、ホームズと違って叡智の輝きを放つものではなく、むしろ底知れず深い夜の闇を思わせた。

思い切って近づいて、声をかけてみた。すると。

 

「Bonjour,monsieur Watson...uh──・・・、Hello,Mr.Watson.How are you?」

朗々としたフランス語の挨拶の後に、少し堅ばった英語が続いた。

「───・・・ルブラン、さん?」

私が驚いた様子で口にすると、彼は軽く頭をさげてお辞儀した。

 

ロンドンの往来で物憂げに佇んでいたのはフランスを代表する義賊、アルセーヌ・ルパンの伝記者。

モーリス・ルブランその人であった。

 

 

「お久しぶりです、ルブランさん・・・!フランスのレストランでお会いして以来ですよね」

「ええ・・・」

とても静かな、落ち着いた口調が私の言葉にひそやかに同意を示した。

フランスのとあるレストランで、実は私たちは互いの友人を交えて一度会っている。

あれは思いがけない偶然によって実現した会談だったのだが、思えばきちんと会話をしていたのはホームズとルパンだけで、

二言三言言葉を発した私とは違い、彼はあのとき確か一言も喋ってはいなかった。

「でも、どうしてまたロンドンに?」

フランスで隠れるようにルパンの回想録を執筆する彼が、何故ロンドンの、このような街中に居るのだろうか。

「・・・ずっと邸に籠もっている私に、アレが業を煮やしてしまって」

『アレ』と言うのはルパンのことだろうか。ゆっくりとした口調で話すその先を待つ。

「たまには外に出て息抜きをしろ、と言われて。散歩に誘われて」

・・・なんだか私が普段よくホームズに言っているようなことだ。

「で、一緒に散歩に出て・・・そしたら急にアレがロンドンに行こうと言い出して」

本当に急だ。散歩の途中で、何故にロンドン。

「・・・で、着いて・・・・一緒に歩いてたのだけれど私がアレを見失って・・・・・」

現在に至る、と始めも終わりもゆっくりとした口調で彼は話を閉めた。

「・・・・・・」

なんだか、見た目物静かそうでインドア派に見えるのに、もしかして案外タフなのかもしれないこの人。

いや、あのルパンの親友という地位にあるのだから、実際凄い人なのだろうけど。

ふつう異国の地にいきなり連れてこられて、一人放って置かれたら動揺の一つや二つするだろう。

「ち・・・ちなみにルブランさん、どれくらいここに居たんですか?」

「・・・・かれこれ・・・・5時間くらい・・・・?

私の部屋に来ませんかここから近いんですていうか行きましょう今すぐにッッ;;;

たとえ暖かくなって来ているとはいえ、まだまだ冷たい風が時折吹く中で、5時間・・・・

ひとまず有無を言わせず、私は彼を221bの下宿へと引きずって行くこととなった。

 

私が連れてきた突然の来客に、下宿の女主人は温かい紅茶を淹れてくれた。

ホームズはちょうど入れ違いに出かけていったらしく、居なかったが部屋はまだ暖かかった。

「散らかっててすみません。いつもこうなんです」

「いや───私の部屋も、負けてない」

前に玄関に新聞を溜めすぎて、訪ねて来たアレを新聞の波で圧死させかけたことがある。

さらりと爆弾発言を流しながら、彼は湯気の立つ紅茶を口にした。

散らかりまくった居間は、(主にホームズが散らかしてんだけど/怒)いつも来客に対して失礼かつ

こちらとしては恥ずかしい思いをすることになるのだが、彼はそんな思いを豪快な答えで一掃してしまった。

あのルパンを、新聞で。圧死とは。

しかもさっきからルパンを『アレ』呼ばわりしてるのもすごく気になる───たしかに彼は法に触れるし

その名は知り過ぎるほど知れているからそう簡単に呼べないのかもしれないけれど───それにしたって凄い事だ。

私が目を瞠って吃驚していると、そんな私を見て彼はふっと口元に笑みを零した。

突然彼の無表情に笑みが刻まれて、私は戸惑う。

「───? どうか、しました?」

「いや───よく笑い、よく驚く・・・あのときも、よく驚いてた」

ボッと顔が熱くなるのを感じた。あのときと言うのは、フランスでの会談のことだろう。

あのとき、私は突然稀代の怪盗が登場したことに、驚きの顔も露わに彼らと向き合っていたのだ。

怪盗の伝記者は、怪盗の後ろで少しも動じることなく静かにこちらを見据えていたというのに。

過ぎ去ったことだけになんとも気恥ずかしくて俯いていると、顔を上げて、と言われた。

また言葉が足りなかった・・・とそんな呟きも手伝って、私はおずおずと顔を上げた。

「よく笑い、よく驚く。表情がよく動く。アレに似ている、羨ましいと言いたかったんだ」

「似てるって・・・・」

私が?ルパンに?

目の前に居るこの人はこれ以上私を驚かせて一体どうしようというのか。

それに・・・・

「羨ましいって・・・?」

言われた言葉の意味が何一つ理解できず、すべて鸚鵡返しに言うしかない。

「貴方は彼の探偵の側に居て、助けを成すことができる。彼の探偵にとって、確かな力。確かな存在」

夜の深さを讃えた瞳がそっと伏せられ、祈るように囁き出す。

「───だが私は違う。彼の伝記を書くにしても、私はそれを見ていない。すべては彼の回想の下」

「───・・・・」

この人は。

「私の存在も、彼の回想の下。彼は法に触れる。私は法に触れきれない。助けにならない。曖昧な存在」

「吹き消せば、消える───・・・・」

この動かぬ表情の下に、どれほどのものを抱えているのだろうか。

でも。それでも。

「ルブランさん───・・・」

 

 

彼の『友人』であることは、確かなことではないのですか。

 

 

───バァン!!

 

モーリス!捜したんだぞぉ!!あっワトソンさんこんにちは!」

お前が俺を置いていったんだろうが(怒)

・・・・・・

 

今日は驚いてばかりなような気がする。

フランスの伝記者に言葉をかけようとした瞬間、盛大な音と共に窓が開け放たれ、なんと彼の稀代の怪盗が顔を出したのだ。

しかしこの突然の事態にもフランスの伝記者は何事も無かったかのようにかけられた言葉に瞬時に対応している。

ホームズだってこうはいかないんじゃないんだろうか。

もしかしなくても、一番のツワモノはこの人なのかもしれない。

いやこの人だろう。

私が勝手に思考を巡らせる中、突然出てきた怪盗紳士は己の親友の襟首をむんずと掴んで再び窓枠に足をかけた。

「すみませんワトソンさん!ウチの友人がどうもお邪魔しました!!」

「え・・・ああいや、楽しかったよ?」

「おい、襟を掴むな。苦しい」

「また今度、ホームズ先生も交えて会食できたらいいですね!」

「・・・・今度は事件無しでちゃんと招待しろ」

「ぇ、あ!」

 

ではまた!!

始めから終わりまで騒がしくかつ一方的に言い切って友人の襟首を掴んだまま、怪盗は窓から消えた。

ダッと窓に走り寄り、外を見回すがそこには既に何の姿も無く、ベイカーストリートを往く人々も特に変わった様子も無く流れてゆく。

文字通り煙のように姿を消されてしまって、狐につままれたような顔で部屋を振り返る。

もちろんそこには夢ではない証拠に、きちんと飲み干されたティーカップが置いてあったのだけれど。

そこで部屋の扉が開いて、ホームズが帰ってきた。

 

「やぁワトソン」

「ホームズ。おかえり」

そこでふとホームズが目を留める。

「誰か来てたのかい?」

「さあね。推理してみなよ」

さも楽しそうに告げた私に、ホームズは訝しげな顔をして首を傾げたのだった。

 

 

フランスの怪盗から221bへ会食の招待状が届くのは、それからしばらく経ったある日のこと。

 2006.02.19.SUISEN

 

 

 

*未消化*
01 大切なのは、後悔しないことじゃなくて、後悔から立ち上がること。
03 良くも悪くも、過去とは次第に重さを増してゆくものだから。
04 出発点が見えたのは、終わりを知った次の日だった。
05 掴めるものでもないけれど、追いかけてみたくなる瞬間がある。

ブラウザバックプリーズ!

再掲載 :06.04.22.SUISEN