記憶のある男=ロンドン編�供�

 

 この話はワトソンにも未だしたことがない。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて腹立たしくて、そして自分の思考の範疇外だからだ。

 

 それは聖バーソロミュー病院の化学研究室に籠もっていた頃のこと。

 その無粋な客人は突然現れたのだった。

 

「・・・・そこで何をしているのかね?」

 いつのまに入ってきたのだろう、その青年は研究室のドアの前に立っていた。

 ニコニコと、愛想良く笑いながら。

「ふふふ、つい先程・・・あ、きちんとノックは致しましたよ?気づかれなかったようなので・・・・

 ふふふ、相変わらず集中してると周りが見えなくなるんですね、フフフ」

 青年は口元に手を持ってきて楽しそうに笑った。

 しかし私は笑えなかった。

「・・・私と君は会ったことがあったかね?」

 そう、私はこのコロコロと笑う青年に覚えが無かった。

 ドアに寄りかかる青年を、足の先から頭のてっぺんまで眺める。

 黒のロングコートに黒の皮手袋、少し蒼褪めた顔色の悪い顔。

 首に絡まる少し長い黒髪に深淵を思わせる目にかかった長い睫・・・・

 どれ一つとって見ても、記憶力に優れた自分の脳内にあるデータに当てはまる人物は居なかった。

 すると青年は、

 

「おや、私をお忘れですか、まあ無理もないかもしれません」

 あまり私を好ましく思っておいでではないでしょう?

 そう言って微苦笑を浮かべて見せた──しかし何なのだこの声は。まるでこだまのように、頭の中で響き渡る──

 その言葉には別段皮肉を込めた感じはしない。

 

「まあ確かにね。いきなり現れた相手に、そうコロコロと笑われてはね」

 当の私といえばおもいっきり皮肉を込めて言ってやったが、青年はそれに気を悪くした様子も無い。

 まるで私がそう返すのは当然のことだと、旧友の癖を数年ぶりの再会で喜んでいるように見えた。

 そんな素振をされる理由に合点がいかない私はますます不機嫌になってくる。

 何せ、他人である人物にそんな扱いを受けているのだから。

 

「それで、何故いつまでもそんなところにいるのかね。用件があるのなら、さっさと言って出て行ってくれたまえよ」

 内心苛々しながら、刺々しい言葉を紡ぐ。

 実験はそつなく巧くいっているというのに、この奇怪な来訪者のおかげでちっとも楽しくない。

 青年が私の口調を気にする様子は一向に無かった。

 だがしかし、私の言葉を聞いて青年は急に腰を浮かして慌て出した。

「ああ、そうでした。いえ、もうすぐですからここで・・・もうすぐ、すぐに行かなければいけないんですよ。

 私としたことが、ああ。時間が無いことを失念していました」

 突如焦りの色を見せ始めた招かれざる客人の様子に、さすがの私もどうしたのかと視線を向ける。

 青年はバタバタと身なりを整え、すぐにでも出て行けるよう、研究室のドアノブに手をかけてこちらを振り返った。

 

「大事に、大事になさいませ」

 

「は・・・?」

 

「大事になさいませ。貴方にとって、これから生涯、死ぬまで必要な方です」

 

 さっきの笑う様子から一変して青年は酷く真面目な顔をしていた。

 ふざけているようには見えない。気が違っているようにも見受けられない。

 だがしかし言葉の意味するところが分からない。

 一体何を言ってるんだ?コイツは───

 

 私が声も無く立ち尽くしている間に研究室の時計の秒針がカチッと動く音がして、青年はいっそう慌て出した。

「あああ、もう行かなくてはいけません。もう、すぐ、お出でになられるはずです。

 いいですか、大事に、大事になさいませよ・・・・では」

 青年がドアノブを回して扉を開ける。

 まるで何者かに追われているかのような、焦った様子で出て行く。

 そこではっとして、私は青年を呼び止めた。

「待ちたまえ、きみ、名前は・・・・」

 もうドアは閉まりかけている。

 その閉まりかけたドアの隙間から、振り返った青年の、笑う顔が見えた。

 

「私は “ 記憶のある男 ”。どうぞご記憶くださいますように、名探偵」

 

 バタンッ、と扉が閉められた。

 またカチッ、と音を立てて時計の秒針が動く音がした。

 それからすぐさま、研究室の扉を誰かがノックした。

 有り得ない時間差に驚きを隠せないまま、扉が勝手に開くのを見ていた。

 

 そこから現れたのが、彼だった。

 

 

 ***

 

 

 腑に落ちない

 馬鹿馬鹿しい

 実に腹立たしい

 

「・・・ホームズ?どうしたんだい、えらく機嫌が悪そうだね?」

 目を閉じて瞑想にふけっていたはずが、余計なことを思い出して不機嫌さを醸し出していたらしい。

「なにかあった?」

「ああ・・・いや」

 目を開け、自然と彼の腕を掴んで引き寄せる。

 彼もまた、それを当然のように受け入れて腕の中にすっぽり納まってくれる。

 

 なにが “大事に” だ。

 そんなこと。

 

「・・・ホームズー?ホントにどうしたの?」

 なにかあった?なにかした?

 納まった腕の中、見上げてくる彼。

「いや・・・・言われるまでも無いと思ってね」

「?」

 下降の一途を辿っていた気分を治すべく、私はよく分かっていない彼を抱きしめた。

 

 

『貴方にとって、これから生涯、死ぬまで必要な方です───』

 

 

 結局あの青年が何者だったのか分からぬまま。

 結局あの青年の言ったとおりになった。

 

 こんなに癪に障る話、そうは無いだろう?

 

 だから私は未だにワトソンにこの話をしたことがない。

 

 

 

 END 

 随分話的に改ざんしたような;ま、いっか・・・(よくない)
 ホームズさんで話を進めると、結局ラブおちになるのは何故ですか。
 兎だからですか。(爆)

 ブラウザバックプリーズ!

 06.07.17.SUISEN