男は
たった一つ花の為に緑を司る王を用いた。
男は
たった一本の木の為に樹木を司る王を用いた。
男は
たった一夜のことを千万の夜にする為に夜を司る王を用いた。
それでも花の命は指の隙間から零れ落ちる砂の如く。
とうとう、その男は。
『千夜に一夜の花散る夜』
「まったく、いつの時代も男は女によって身を滅ぼすとはよく言ったものだ」
あら、心外ね。アタシはあれに何も望まなかったわよ。
まして他国をこれほど巻き込むことなんてね。
「そうだとしても、奴がここまで動いたのはお前の為だろうが」
苦々しげに呟く黒帝。その腕の中には緑を司る王が居る。
それはそうね。謝るわ。
とくに彼らにはごめんなさいね。
「あの男は?いま何処に?」
黒帝の後ろで声を上げたのは盗帝。
彼の腕の中にはやはり夜を統べる夜帝の姿。さらに傍らには樹帝も彼に凭れかかる格好で目を閉じている。
二人を庇う態勢でいる盗帝が、鋭い視線を滑らせる。
彼らの目の前に聳えるのは、巨大な樹木。
淡い薄紅色の愛らしい花弁振りまく刹那の花木。
その花弁は、夜の闇に白く映えていた。
───花吹雪舞う夜は、一夜限りのはずだった。
彼なら
おれなら
ここよ
ここだよ
「!!」
あたり一面花弁の原となった中から立ち上がったものがある。
舞い上がった花弁が一頻り乱舞した後、そこにはこの国の主にしてこの度の事件の元凶───紅帝が立っていた。
その名に違わぬ真っ赤な髪を、木製の手が掻き揚げる。
「・・・ひとつ気になっていたんだが」
そんな紅帝の様子を目の端で捉え、だが決して逃がさぬ鋭さで黒帝が言葉を紡ぐ。
「随分と前、貴様がこの国の王として即位する際にはまだその両腕はきちんとあったと記憶している。
それ以後一種の『恐皇』として君臨したお前だが他国との戦の折にもお前が腕を損失するほどの負傷を負ったなどという記録は残っていない。
にもかかわらず、あるときからお前の両の腕は義手になった。それはつまり」
「へぇ。さすがだな黒帝。相変わらず嗅ぎつけるのはお得意なようで」
黒帝の言葉を最後まで言わせることなく、紅帝が口を開いた。
木で出来た両の腕をこれみよがしに掲げる。その義手の素材は彼の後ろに聳える樹木に色が似ているように見えた。
「くれてやったのさ、この桜の木に。枯れないように、より美しく咲くように」
黒帝が言わんとしていたことを、紅帝はあっさりと告白した。
「本当は死人を根元に埋めておくのがいいらしいが、あいにく死人も埋め尽くして足りなくなっちまったんでね」
もう、この国には王である紅帝しかいない。
紅帝と、彼が愛した儚き一夜の女帝と。
「だから俺の腕を与えた。アイツは代わりにこの腕をくれたよ。桜の木で出来た義手を」
だって不便じゃない。
いくらアンタが強いっていったって。
その言葉と共に今まで声だけだった散女帝が大樹の中から姿を現した。
白く細い腕が、紅帝の首に回される。
紅帝は振り返ることなく回された腕に感覚の無い手を置いた。
嬉しそうに細められた紅い目は、まさに細い月だった。
だけど、と紅帝が再び口を開く。
「それでも足りなかったから緑帝を連れてきた。この花が散りきって、緑が芽吹かないようにしてもらう為に」
その言葉に、黒帝の腕の中で目を覚ました緑帝は悲しげに眉を寄せる。
それは無理だ。
緑とは育むもの。
それを妨げる力など、私は持ち合わせていない。
「それでも木自体が枯れてきたから今度は樹帝を攫った。この桜の木が枯れないように、看てもらう為に」
盗帝の影に怯えるように隠れていた樹帝は、恐さからか紅帝から目を放せずにいる。
それはできる。
けれどそれにも限界がある。
生きとし生けるもの、その全てには寿命がある。
木々だって同じこと。
「それでも最後の一夜がやってきた。だから夜帝にご足労願った。この最後の一夜が、永遠に明けないように」
盗帝の腕の中で、夜帝は静かに舞い散る花弁と闇を見つめていた。
それは不可能。
確かに明けない夜を続けることは出来る。
けれども時をとどめることまではできない。
幾千万の夜が空かず続いたとしてもそれは同じ夜ではない。
舞い散るそのときは避けられない。
「打てる手は全て打った。それこそ世界中を巻き込んで。それなのに───・・・」
それなのに。
花は散り続けた。
彼女は言った。
だから言ったでしょう。
アタシは散女帝。
花は咲いたら
散るものなの。
ああそうだ。
分かっていた。
どんなことをしたって、それを食い止める術なんか無い。
分かっていた。でもおれは嫌だった。
もう手は尽くした。
他国中の王を巻き込んだ。
国民も文字通り肥やしにした。
そしたらもう
「おれしか残ってないだろ?」
そう言って紅帝は己の服の前をたくし上げた。
それを目の当たりにした全員が息を呑む。
紅帝の胴の部分にはあるべき肉が無かった。
そこにはただぽっかりと空洞が空くばかり。
綺麗に並んだ白い肋骨と背骨が垣間見えた。
「酔狂だな。お前の狂宴に付き合うのはもう御免だ」
「ハ!羨ましいくせに」
吐き捨てた黒帝の科白に紅帝がケラケラと哂って返す。
紅帝の言葉に思うところでもあるのか。黒帝は眉を寄せたまま押し黙った。
緑帝が、意外そうに目を瞠って黒帝を見つめる。
桜が舞い散る。
もはや白い雪のようにも見えるそれには生気が無かった。
海で絶えた人の骨が、いつか波にもまれて砂となって浜を埋め尽くすように。
枝という枝から舞い散る花びらは、まさに死ぬ逝く木々の散骨だった。
「きれいだねー」
「・・・・・・夜帝」
舞い散る花びらに手のひらを差し伸べて暢気なことを言う。
それがさっきまで死にかけていた人間の言う言葉か。
ましてやそうせしめた張本人が目の前に居ると言うのに。
ガックリと肩を落とす盗帝の背後、どうしたものかと樹帝がおろおろとしている。
その様子を見ていた散女帝がクスクスと笑った。
さあみんなもうこの国を出るのよ。
でないとこの人のようにこの樹に喰われてしまうわよ。
桜の樹が美しいのは、
その下で眠る
人の養分を吸って生きているからなのよ。
散女帝の言葉に黒帝と盗帝がハッと異変に気づく。
己が羽織っている衣。その地に付く裾の部分が、カラカラに干からびたように少し脆くなっているのだ。
このままで居ては、紅帝のように体の血肉まで摂られてしまうだろう。
「ご忠告どおり、早々に退散させて頂くよ。盗帝!」
「ええ。国の門前に車を待たせてあります。急いで!」
それぞれに、体の自由の利かない皇帝に手を貸して立ち上がる。
紅帝はただ黙って彼らの行動を見ていた。
散女帝の、手前だったからかもしれない。
「散女帝、ひとつお聴きしたいことが」
なにかしら、盗帝?
その場を立ち去る直前、盗帝はふとその足を止め散女帝を振り仰いだ。
「この樹はこの下で眠る人の養分を吸って生きると仰いましたね」
ええ。
「この下で眠っているのは、貴女ですか?」
散女帝は答えなかった。
ただ、美しく微笑んだ。
その笑みを、盗帝はいつかどこかで見たような気がした。
盗帝。
踵を返した盗帝を、散女帝は呼び止めた。
聖女帝によろしくね。
盗帝は瞠目した。
だが振り返ることはしなかった。
「盗帝!何をしている!」
花吹雪の向こうから黒帝の叫ぶ声が聞こえた。
いつのまにか視界は舞い散る花弁で真っ白になっていた。
夜帝と樹帝を抱え、盗帝はその場を後にした。
真っ白な花びらだけが、いつまでも残る。
「あーあ、アイツらも食っちまえばよかったじゃねぇか」
そしたらもうちょっと持ったかも。
黒帝たちが立ち去った後、腕を頭の後ろに回して行儀悪く紅帝が愚痴を零す。
そんなこと、思っても無いくせに。
第一そんなこと言ってアンタ、嫉妬するじゃない。
紅帝の首の肉がボロボロと崩れ始めた。白い骨が見えてくる。
見る見るうちに顔の皮膚にもヒビが入り、ボロリと落ちた。
唇が取れ、真っ白な歯が剥き出しになる。
白い歯が上下に動いてカチカチと音を立てる。
肉の無くなった喉からは、もう言葉は音にならない。
目の淵が崩れ、眼球が露わになる。
歯が合わさり鳴らしていたカチカチという音が止んだ。
顎を支えていた肉が無くなり、下顎の骨が落ちたからだ。
紅い瞳が干からび、色を失っていく。
それでも散女帝と紅帝は目と目を合わせていた。
眼球が落ち、その目がぽっかりと暗い穴だけになっても。
燃えるような紅い髪が、最後の最後まで鮮やかだった。
散女帝の腕の中には、王の証であった高貴な衣を着た白骨だけが残った。
だが、それも徐々にだが砂塵化し始めている。
もうすぐ全部消えるのね
骨も残らないのね
残像すらも。
散女帝が言い終わるかしないかうちに衣も骨も砂と塵となり、一陣の風によって散女帝の手の中から吹き消えた。
跡形も無くなった空間を、闇の中降りしきる花びらを浴びながら見つめる。
その散女帝の背後、誰かが肩に手を置いた。
散女帝が振り返ると、笑みを浮かべた紅帝がそこに居た。
ちょっと幼さの残る、いたずらっ子のような笑み。
散女帝の好きな紅帝の笑みだ。
だから散女帝は笑顔で紅帝に返した。
終わりの一夜はもう明けて。
ここに永久に終わらぬ二人だけの夜が始まる。
「あの国・・・何も無いのだからもう国でもないがな。侵入禁止区域に指定したよ。
枯れたとは言え、あの場所は危険だ。現実、未だあそこには草一本生えようとしない」
晴れて紅き国から脱出して後日。
黒帝は緑帝の舘に顔を見せていた。
「誰か視察に行かせたのかい」
「うむ、君もよく知っているだろう、僕の小姓を連れて逃げた衛兵にね。
それをすることを条件にこれで無罪放免にしてやると言いくるめてね」
「・・・相変わらず酷い男だな、君は」
「退屈しのぎに戦争やってたような男だよ、僕は」
黒帝の話を聞いてみるみる渋い顔になる緑帝に、黒帝は少々大げさに肩をすくめて手を広げ、背を向ける。
ふう、と黒帝の背後で溜息がした後、冗談だよという声が追った。
その言葉にくるんと身体を返すと黒帝は緑帝が起き上がる寝台に大股で歩み寄り腰掛けた。
「調子はどうだい?」
「もう随分いいよ。寝ているのが億劫になってきたぐらい」
「それは良かった」
紅帝の引き起こした一件から、自身も巻き込まれた緑帝はその体調を崩していた。
もともと紅帝の無理な願いを強引にやらされていたのだ。しかもそれは彼の能力をどんなに振り絞っても叶えられることの無い願い。
すっかり弱ってしまった緑帝はここしばらく床に伏せっていた。
「うん。だいぶ顔色も良くなったようだね」
「もう外を歩きたくてうずうずしてるんだけどね」
「いきなり動くのは身体に悪い。もうしばしこの窓辺からの景色で我慢しておくれ」
黒帝が言うのと同時に、窓から新緑の風が幾重かの木の葉とともに入り込んできた。
「・・・花でなければ駄目だったのだろうか」
ポツリと零した緑帝の言葉に、黒帝が視線を向ける。
「季節が過ぎれば・・・夏には青々とした葉桜、秋には紅葉。冬には・・・雪が降ればさぞ美しい雪見桜となっただろうに」
窓から入ってきた木の葉が一枚、緑帝の肩に落ちる。
その葉をそっと手に取りながら、黒帝がさぁねと呟いた。
「そういえば、君でも羨ましがることってあるのかい?」
「?」
唐突な緑帝の問いに黒帝は何のことかと怪訝な顔になる。
「紅帝に羨ましいくせにって言われて君、黙っただろう?」
「・・・・・・・ああ」
思い至って、黒帝はくしゃりと髪を掻き回す。
撫で付けてある艶のある黒髪がぱらりと零れた。
紅い月の幻がこちらを見て哂う。
『羨ましいくせに』
ああ、羨ましかったさ。
王としての地位や立場。
人としての理性。
くだらないプライド。
それら全てを捨てて想い人ただ一人のためだけに狂い足りえたあの男が
黒帝は憎らしいほどに羨ましいと思った。
自分にはおそらくどれほど狂ってもあの男のようには出来ないだろう。
自らの行動によって大事なものを失わせようとしていた自分には。
全く以って口惜しい。
複雑な思惑の底に沈む黒帝を、控えめなノック音が現実へと呼び戻した。
「失礼。緑帝のお加減を見に来たのですが、お邪魔でしたか?」
部屋の戸口に現れたのは盗帝。
その横には夜帝が控え、さらにその後ろからは樹帝がひょこりと顔を覗かせた。
「盗帝。夜帝に樹帝も。二人とももう身体はいいのかい?」
「邪魔と言えば邪魔だな。さっさと国へ帰ったらどうだ?怪盗国王」
表情を明るくさせた緑帝とは反対に黒帝は憎まれ口を叩く。
それに肩をすくめて盗帝が苦笑で返す。
持ちつ持たれつ、着かず離れずぐらいがこの二人は調度いいのだろう。
「・・・・具合」
いつのまにか寝台の傍に来ていた夜帝が小首を傾げて緑帝の顔を覗き込む。
言葉少なだが静かに瞬く夜色の瞳に、緑帝は微笑で答えた。
「よかった。もう大分良さそうですね」
ほっとした様子で樹帝が顔を綻ばせる。
「ほら、黒帝。いつまでも拗ねてないで」
「誰が拗ねている。誰が」
部屋の窓から降り注ぐ木の葉に混じって庭の草花には無い淡い花びらがひらひらと舞い込み、彼らの上に降り注ぐ。
花が終わり、若葉が芽吹いた。
季節は直に青葉の頃へと変わるだろう。
END
なんか皇帝シリーズのラスト話臭い感じですね。
最終的に紅帝と散女帝が世界巻き込んで終わる、みたいな。
いえ、だったらエピローグをもっとしっかり書かなきゃいけないんだけど(笑)
アリプロの『恋せよ乙女』をカラオケで聞かせてもらった瞬間に降って湧いたネタ。
思いのほか長くなったなぁ。
ブラウザバックプリーズ!
08.03.10.TOWEL・M