すん、ぐすっ。

 

「モーリス」

 

 伸ばした手が触れると彼はビクリと身をすくませた。

 何よりもまず、彼をあやし慰めるのが先決だった。

 

 

 

 療法の時間

 

 

 

「モーリス、おいで」

「・・・・・・・・」

 まだダメか。

 怪盗は目の前の相手に気づかれないよう、内心溜息を吐いた。

 

 相手───モーリスと自分はひとつベッドの上の端と端に居た。

 正確にはモーリスが端に寄ったまま来てくれないのだ。

 ベッドの隅の方で、体を丸めて座り込んでいる。

 時折くすん、と鼻をすする音が聞こえた。

 

 先日、英国へと二人で渡った。

 たまの休暇を二人はよく英国倫敦にて過ごしており、そのときもそうだった。

 しかしそのときは状況が違った。

 倫敦では切り裂きジャックの犯行が横行し、街はまさに切り裂きジャックの手中にあった。

 まさかその紅い手の中に

 

 彼が見初められてしまうとは、な。

 

 もう一度怪盗はモーリスに気取られぬよう溜息を吐いた。

 だがいつまでもこの耐久戦を続けているわけにもいかない。

 何故ならモーリスの体にはおおよそ痕とは言いがたい無数の紅い傷があるのだから。

 意識の無い彼を連れ帰って一通りの手当てはしたがやはりまだまだ様子を見なくてはならない。

 けれど傷ついた彼はなかなかこちらに寄って来てはくれない。

 ここはひとつ、寸劇を打たねばならなかった。

 

「・・・モーリス、愛しい人一人も救えない僕を嫌いになった?」

「え?」

 思いもかけない言葉に、モーリスが顔を跳ね上げる。

 瞳は潤み、目の端はすっかり赤い。

 真正面から見てしまって、少し胸が痛んだ。

「こんな僕にはもう触れたくも無い?」

 わざと盛大に溜息を吐いて俯いた。

 するとベッドの端の気配がおろおろし出す。

「え、あ、お、」

 ち、ちが・・・そう言って少し身を乗り出したその隙を逃さなかった。

「わ・・・」

 がばとその体を捕らえ、こちらの方へと転がし倒す。

 抵抗の暇無くころんと転がった彼はしぱしぱと目を瞬かせた。

「つかまえた」

 彼の顔を覗き込みながら、触れ合いそうな距離でそう告げた。

「・・・・ずるいー」

 泣きそうな彼の声に、僕は微苦笑で答えた。

 

「痛くない?」

「・・・ぢくぢくする」

 つまりまだ痛いんだな、と判断して体をさする。

 一瞬びくりと体をすくませたが、「うー」と言ったきり大人しくなった。

 撫でさする体には無数の紅がある。

 しかしそれは甘噛みの痕とは程遠かった。そのすべてが噛み付かれた痕だった。

 よくそのまま言葉どおり『食べられず』に済んだものだと思うとゾッとする。

 あの男ならば簡単にしてのけてしまうだろう。切り裂きジャックと呼ばれるあの男は。

 五体満足でよく手元に戻ってきたものだと思う。

 その反面、彼をこんな目に遭わせる隙を作ってしまった自分が情けない。

 今回ばかりはあの殺人鬼に怒りを向けるのは不当に思えた。

 それ以前に、自分の失態が愚か過ぎる。

 モーリスを強く抱きしめる。

 内なる焔は、白く揺らめき己自身を焼いていた。

 

「・・・もー、しません・・・」

「?」

 唐突にモーリスがそんなことを口にした。

 何のことかと体を引き離して彼を見る。

 その目の端にはまだ涙が残っていた。

「もー迷子、しない・・・」

 だからごめんなさい。もーしません。

 言ってまたぐすっと鼻をすする。

「・・・・ああ」

 なんだそのことか、と自分に対して怒っていた自分は拍子抜けしてしまった。

「あとえっと、その・・・」

「?」

 まだ他に何かあるのだろうかと口ごもっている彼を見つめると。

 

「もー誰とも、しません・・・」

 

「・・・・・・」

 

 さすがに言いづらかったのか、顔を赤くしてモーリスは下を向いた。

 けれど僕には一つ確認しておきたいことがあった。

「あのね、モーリス?」

「?」

「誰ともしないってことはね」

 

 僕ともしないの?

 

 途端に彼はあ、という顔をして──その後ぶんぶんと首を左右に振った。

「らうーるとは・・・・・・・する」

「うん。」

 さらに赤くなりながらそれでもきちんと言葉にしてくれたのに僕は酷く満足して優しく彼を抱きしめた。

「モーリス、エギュイーユ・クルーズに行こうか」

「え?」

 ぱちくりと目を瞠るモーリスに微笑む。

「エギュイーユでしばし休養をとろう。君には長い休養が必要だ。

 僕もいま僕自身が動かなきゃならないほど大きなヤマは抱えていない。

 ましてあそこは僕の司令塔のようなものだ。あそこに居ればだいたいの仕事はこなせる」

 だから、と彼の頬に手を当てる。

「切り裂きジャックに奪われてしまった君を、そこで取り戻したいのだけれど」

 いいかな?と問えば彼はにべも無く頷いた。

 ことりと僕の肩に頭を預けてきたので僕はその髪を梳いた。

 

「ラウールは・・・厭じゃない?」

「うん?」

「他の人にされちゃって汚いの・・・厭じゃない?」

「・・・・・モーリス」

 胸が締め付けられるようで、堪らなくなってキスをした。

「厭じゃない。だってモーリスはその人のことが好き?」

 ぶんぶん!と強くモーリスが首を横に振った。

「ラウールが好き。」

 率直にそう言われては、問うたこちらが照れてしまう。僕はまた苦笑した。

「僕を好きだと言ってくれるのなら、想ってくれているのなら厭じゃないよ。

 それに君はとっても怖い思いをしただろう。それを我慢して頑張った君は、汚くない」

「うん」

 

 頷いた声は涙声だった。

 首に腕を回してきた彼を僕はいつまでも抱きしめていた。

 

 

 

 END

 すぐりさんから以前頂いた『リッパーのネイチャーライフ』の続きでルパルブ。
 と言ってもエロなしヤマなしオチなしですけどね!(哀)
 シリアスも中途半端だしな・・・ルパルブは甘々に仕上がってしまうのでいかんです。
 とゆーわけで夏コミやら日常やらで頑張っているすぐりさんに捧ぐ。

 ブラウザバックプリーズ!

 07.06.26.TOWEL・M