物置のような部屋の中で、丸いテーブルを中心に私はグレグズンと向き合っている。

 グレグズンはどこか酷く憔悴していて───私は私で、何かショックを受けていた。

「小さい頃に教わった、祈りの言葉を思い出してみよう───」

 私は必死にグレグズンに語りかける。そうして手を祈りの形に組み合わせて目を閉じた。

 グレグズンは静かに立ち上がった。立ち上がって私の後ろへ回ったようだった。

 私が顔を上げ振り向こうとした瞬間。

 

 襟首に衝撃が落ちた。

 

 

 

 『 それは今は遠い、過去の幻。 』

 

 

 

「レストレイドッ!!!」

「───ッ!!!」

 誰かが名前を呼んだのと、私が飛び起きたのはほぼ同時だった。

「あ・・・・?」

「あーーー・・・よかった・・・目ぇ覚まさなかったらどうしようかと思った・・・・・・大丈夫か?」

 視界には心配と安堵で満ちたグレグズンの顔。

「ぐれぐずん・・・・?」

「うん。気分どう?」

 どっか悪いとこない?そう尋ねながらグレグズンは頬を撫でてきた。

 自分の髪や頬を撫でてくる手は優しく、温かい。

 ───なのに何故あんな夢を見たのだろう。心の臓はまだドクドクと脈打っていて、厭な汗が体中に張り付いている。

「なぁ・・・グレグズン・・・」

「うん?」

「なんで俺、家に居て寝てるんだ?」

 たしか自分はまだヤードで仕事をしていたのではなかったか?

「覚えてないの?」

 落ち着いてきた頭に浮かんだことをグレグズンに尋ねると、奴はきょとんと目を瞠った。

「おまえ、捜査課で倒れてたんだよ。顔色は最悪に悪いし息は細かったし体は雪みたいに冷たくなってるし。」

 マジに死んでるかと思った、と。

 そうして頭を包み込むように抱きしめられた。同時に髪をすり抜けていく安堵の溜め息。

 そこまで心配してくれたのかと思う気持ちと、心配させて申し訳ない思いでいっぱいになる。

「・・・すまん」

「いいって」

 それよりまだ具合悪いトコ無い?と伏せかけた顔を上向かせて尋ねてくるライトグリーンの目は優しい。

「無い。もう大丈夫だ」

「そっか。でもまだ動いたら駄目な。今日一日は休んでろ。

 汗もかいたし、腹減ったろ?タオル持ってくっから、体拭いたら何か軽く食おう」

 

 部屋を出て行くグレグズンを見送って、言われたとおりに横になる。

 そこで、自分が倒れる前のことを思い出す。

 

 夜遅く。現場から戻ったら、グレイ氏が居たんだ。

 けれど彼は自分が部屋に入ってきたことも気づかず。様子もいつもとどこか違って。

 つい名前を呼んだ。そしてこちらを振り返った彼はやはりいつもと違っていて。

 呆けた様子でこちらを見つめてくる視線に、目に、ふと恐怖を覚えた。

 後ずさるも地を歩く必要の無い彼には関係の無いことで。

 一気に間合いを詰められ、抱きしめられた。

 以前背後から抱きすくめられたときよりも、いっそう冷たく────

 

 

 鼻をくすぐる独特の臭い。

 これには覚えがある・・・そうだ、油彩だ。油彩画の臭いだ。

 美術館に行くとよく立ち込めてる、独特の臭いだ。

『───。』

 名前を呼ばれて、ぱちりと目を開ける。

 そこは陽の光降り注ぎあふれる庭園で、私はキャンバスを前にして丸椅子に座っていた。

 左には木製のパレットを、右には未だ乾かぬ絵の具のついた絵筆を、だらりと力なく垂れ下がった両手に持っていた。

 二、三度瞬きをして顔を上げればそこには陽の光の中で微笑するグレグズンの姿。

 こちらを見下ろし、クスクスと笑っている。

 その身は古風な貴族衣装をまとっていた。どこかで見たことがあるような気がするが、思い出せない。

『絵を描いてる最中に居眠りをするのは珍しいことだね。春の陽気に誘われたかい?』

『あ、ああ・・・そうかもしれない』

 いつものグレグズンの口調と違うなと思いつつも、面食らったまま口を開く。

 グレグズンは私のそんな様子を気にすることもなく上機嫌に笑いながら描きかけのキャンバスを覗き込む。

『この空の色、いいね。好き。それと筆についてるこの色。船を漕ぎながらも筆を取り落とさなかったのは賞賛すべき点だね。

 もし取り落としでもしていたらこの美しい色が砂利土に汚れるところだった。』

 筆を持った自分の手ごと彼は持ち上げて、その筆先をうっとりと見つめる。

 その碧い瞳が───

 

 ───碧?

 

 ふと止まる思考。感じ始める違和感に世界が揺らぐ。

 意識に光の亀裂が入り始める。同時に周囲の風景がぼんやりと霞み始め、はっきりしなくなる。

 

『フフッ、君の爪はカラフルだね。絵の具が詰まって。七色の爪だ』

 

 彼は笑う。 長 い 金 糸 を なびかせながら。私の───いいや。

 

『ねぇ?バジル?』

 

『汚いと言いたいんだろう?だったらそう言えばいいじゃないか────ドリアン』

 

 ドリアン=グレイは笑う。彼が愛したであろう人の手を握りながら。

 

 

 そこで私は目を覚ました。

 いつのまにかまた眠り込んでいた。

 ベッドの脇に座ったグレグズンが、髪を梳くって撫でている。

「起きた?」

 こちらの具合を気遣ってか、囁くように訊いてくる。

「ん・・・・あ、もしかして着替えさせてくれたか・・・・?」

 先刻まで感じていた汗ばんだ不快感が消えているのに気がつく。

「うん。寝てる間に。よく寝てたからな」

 顔色もさっきより良くなったな。額や頬に宛てられる手の感覚に目を閉じると、さっき見た夢を思った。

 

 ───あれはきっとグレイ氏の夢だ。

 自分がまだ存在もしないほど遠い日の夢。

 

『君、昔の友人に似ててね』

 

 いつか彼はそう言った。夢の中のように笑いながら。

 遠い日、彼もまた自分と同じように己の隣に居る人と過ごしていたのだろう。

 そして───

 

『羨ましいよ。あなた方が。』

 

 いつか彼はそう言った。どこか悲しげに。

 そしてあの後ろから衝撃を受けた夢も彼のものだとするならば───

 

「レストレイド・・・?」

 どうした?どっか痛いのか?苦しいのか?

 慌て出すグレグズンを横に、レストレイドは泣いていた。

 泣くつもりなど毛頭無かった。ただ、水滴は勝手に頬を伝っていた。

 

「・・・だいじょうぶだ・・・・・・」

 

 何があったのかなんて知らない。知ろうとも思わない。知ったところで何の意味も無い。

 

 もう、それは取り返しのつかない過去だ。

 

「おい、ホントに大丈夫か?」

 

 何があったのかなんて知らない。ただ。

 

「だいじょうぶだ・・・・・」

 

 ただ、想った。

 

 

「・・・・・夢の、幻(ゆめ)だ。」

 

 

 彼が己が手で屠(ほふ)った、別れの哀しみを。

 

 

 

 END

 * * *
 『漂流する〜』の続き。どんなにシリアスでもグレさんが出てくるとイチャコラになってしまうことが判明。
 あなおそろしや保護者・・・!!(笑)
 キリ番、ホントは漫画で描きたいんですけどね・・・!あんまりお待たせするのも何なので、繋ぎに小説でもと。
 二作品、ひとまずキリ番(仮)としてお納めくださいませ〜ッm(_ _)m
 名無しさんに日頃の感謝を込めて。

 ブラウザバックプリーズ!

 07.05.07.TOWEL