[ Sanatology ]
時間的にはナイトティーだろうか。 否、夜を彷徨う彼等にすればアーリーティーと言っても過言ではない。
何れにせよ、其の茶会は深夜に開かれた。 聊か奇怪な時間帯だが、更に妙と言えるのは茶会の面子である。
例えば今、ショート・ブレッドに手を伸ばしている男性。
彼は鮮やかな蒼の髪を持っており、顔立ちはやや童顔ではあるものの充分に麗しい。
ところが彼の素性はこの外見を裏切り、多くの穢れた悪徳に塗れているのだ。
少なくとも、世に存在する秩序を嘲笑う程に、其の闇は濃い。
名をジル・ド・レというが、彼を始めとして、他にも似た様な背景を持つ者は多い。
彼と対面する席には、紅蓮の色彩を惜しみなく晒す若者。 其の隣には、奇形の面影を残す色白の少年。
それぞれは己の事を「ジャック」、「ハイド」と名乗りを挙げた上で席を共にしているのだが、彼等もまた罪を愛し、影に傾倒する種族である。
肝心の茶会の第一主催者であるドラキュラ伯爵、そして補佐のエドワード・ハイドなのだが、双方は客人を挟み込む形で座していた。
この紳士二人の背景を説明するならば、彼等もまた罪を自ら望んで喰らう咎人。
特にドラキュラは古来より数百年生き続ける魔物である為か、身に纏う闇は、集団の中で一際抜けている。
其の彼が、口を開いた。
「私でも見知った顔が数名居るな。 倫敦とは、余程狭い土地と思われる」
特に皮肉気にジャックとジルドレへ視線を掠めやっては、互いの因縁を思い起こし、ドラキュラは小さく溜息を吐く。
其の仕草一つで、大方の感情は悟れると言うもの。
忌まわしい過去の記憶が甦り、彼等によって傷付けられた部位が疼き目覚めた。
今となっては痕一つ無いものだが、精神に覚えた不快は消せる筈も無い。
続いて「僕も驚いたよ」と、ジルドレである。
「まさかハイドくんのお友達が、貴方とはね」
彼が軽く肩を竦めれば、いよいよ心の内の嫌悪を抑えられず、ドラキュラの眉間には皺が走った。
伯爵の視線の先、意味深なジルドレの言葉、事情を知らないハイドとしても、三方には何かあったのだろうと察しが付くのだ。
此れを尋ねるのは礼儀とばかり、ハイドは一言覗かせる。 「どういう事でしょう」、と。
しかしながら、詳細を語る事は苦手なのか。 ジルドレは困った様に頬を掻くのだった。
何とか頑張って説明しようとするが、「うー」だの「あー」だの呻くだけで、上手く言葉にはならず、
結局は「色々在ったんだよ、色々と」の台詞で全てを片付けてしまった。
ハイドは其れに対して不満気な色を残すが、だがこうした彼の態度は今に始まった事ではないのだ。
其れなりの理解を含め、彼の詮索は溜息を吐いて終わる。
ハイドが何も語りかけてこないのを良い事に、ジルドレは次にスタンドに乗っているスコーンを摘み取った。
序に、ね?とジャックへ視線を投げる。 「色々在った」の発言に同意を促すものであろう。
だが当のジャックはというと、表情を渋く固めたまま、カップの縁に唇を当てるだけで、大した反応も返しはしない。
何分、世で最も気に喰わないヴァンパイアが傍に居るのだ。
何故奴と茶を飲まなければならないのか…ジャックの内心は、こんなものだろう。
確かにこの場に居る者は、全て何か一つの法を犯しているものだが、だからと言って一同は馴れ合う関係ではない。
仲の良し悪しの一つや二つは存在するのだ。 例えばこの、ドラキュラ伯爵とジャック・ザ・リッパーの様に。
ジルドレの奴め、とジャックは心の中で悪態を吐いた。
今からたった数時間前、ジャックはジルドレに「これから茶会に行かないか」と誘われた。
其の時は然程乗り気ではなかったが、次に「ハイドくんのお友達が、僕の誕生日を祝ってくれるんだ」とジルが発言すると、
ジャックの中で不意な好奇心が生まれたものである。
ジルドレの言う【ハイドくん】とは、いつも己の傍に居る脆弱な少年を指すのではない事に、当に気付いていた。
仲間の交友関係は明確にしておきたいという下心を兼ね、この催しへ安易に参加したのだが、
現場に着いて初めて事実を知った時、思わず頭痛を覚えたものである。
「大体…」
ジャックが物憂げな気分に浸る最中、ドラキュラは彼へ視線を彷徨わせ、口を開く。
「この様な席で、自らの名をジャックと名乗るのは…どうかと思うがな」
「どういう意味だよ」
此処で初めて、ジャックが発言した。 聞き捨てならない一言だったのかも知れない。
しかし戸惑いもせず、至って冷静な対応をドラキュラは呈したのだのだった。
「洒落た名が流行っている時勢にしては、余りに個性が無い。 偽名にも程がある」
在り来たり、とでも言いたいのだろうか。 ジャックは口許を歪めたが、何も言わない。
否。 此方が反論する前に、別の発言が割り込んで来たと表記する方が正しいだろう。
「おやおや。 まさか年長者の貴方が、今時を語るなんて」
ハイドであった。 彼はジャックへ薄い笑みを手向ける。
「私は良いと思いますよ。 派手過ぎず、何より無難で。 …嗚呼其れに、こんなナーサリーライムもありますし」
ジャックとジルは丘の上 ふたり仲良く水汲みに ジャックは転んで頭をぶつけ ジルも後からすってんころり
【ジャックとジル】の童謡の一節を詠み、今宵の茶会の席に相応しいでしょうと連ねた。 同時に、ジルドレから苦笑が漏れる。
「ボクとジャックを掛けてるつもり? 歌詞中のジルは女の子なのに?」
ハイドは口元の笑みを、一層深くする。 まるで、其の様な事は些細な問題だとでも言う様に。
と、ジャックが硬い頬を弛めないまま言い放った。
「だから何だよ、訳が判らない」
普段のジャックならば、もう少し気の遣った言い方も出来ただろう。
其れをする余裕が無い程、今の彼は心中が穏やかではなかった。 やはり、ドラキュラの存在が大きいのかも知れない。
彼の中では余程、嘗ての一夜が忌々しい思い出となっているに違いなかった。
ところが、相手は詳細を知りえないハイドなのだ。 ジャックの事情を踏まえる筈も無い。
ハイドは笑みを消さぬまま、だが何処か侮蔑の色を晒しつつ、紅茶のカップへと手を伸ばす。
「訂正しましょう。 ……自らをジャックと名乗る者は、皆ナンセンスのようだ」
カップの縁へ唇を付け、傾けた。 まるで其れは、「御前の味方はしてやれない」とでも言わずして表す様である。
ジャックはハイドの内心を悟ると、舌打ちを残し、背凭れへ上半身を預けるのだった。
不躾な彼の態度を横目で見やりながら、ハイドは瞳に愁意を映し込む。
嗚呼、サーは何とも厄介な客人を連れてきたものだ… ハイドはジャックという男を、なるべく視線で触れない様背けた。
すると、偶然反らした視界の中に、或る少年の姿が映り込む。
彼は…何時からそうしていたのだろうか…ハイドへ稀有の虹彩を晒し、此方の様子を静かに窺っているのだ。
理由? 勘の鋭いこの男ならば、少し考えただけで大方悟れる。
こうなると、次の興味の対象は決まった様なもので、ハイドの口角は一層上がった。
「こんばんわ。 そう言えば、君の名も私のものと同じだったね」
ハイドと視線が合うと、未発展の体躯を持つ少年は、思わず視線をテーブルの表面へと逃がしてしまった。
其処で初めて茶会の面々は、この場にハイドという名を持つ者が二人居る事を強く意識する。
「判り難いよね。 連れて来ない方が良かったかな」
刺々しい口調のジルドレ。 気の所為か、ハイド少年へ据えられた視線も、妙に冷え切っている様だ。
何言ってんだよ、とジャックがジルドレを視線で制す。 ジルドレは肩を竦め、悪びれた様子も見せず舌を出した。
一方漆黒のハイドはというと、迷子の猫を見るかの様に眼を細め、少年に柔らかい笑みを手向ける。
「覚えているかな? 一度逢っているね。 ほら、何処かのパブで…」
逢ったというよりかは、対面したと表記した方が相応しい程一瞬の出来事ではあったが、其れでも薄弱のハイドは記憶していた。
ジルドレの傍に居た、月の無い夜空を髣髴とさせる陰鬱な男の横顔を。
記憶の中の男と、今目の前に居る男が一致するものかと、思わず食い入るように眺めてしまったが、
相手に出逢いを指摘された事から、やはり己の記憶に間違いは無かったと確信を持てる。
色素の薄いハイドは、遠慮がちに小さく頷いた。
以前ジルドレが、ハイドに抱かれた事があると宣言していたが、其のハイドとは彼の事だったかと認識すると、
彼の頬を覆う程度の薄い皮膚が、僅かに赤く染まるのだった。
しかし彼の心中など知らないミスター・ハイドは、此れを単純に愛らしい仕草と受け取る。
「私とは違って、可愛らしいリトル。 私の事はミスターと呼べば良い」
其の優位に立った物言いにより、完全に子ども扱いされていると知った。
不満? 勿論感じる。 同じ名でありながら、何故こうも大差を付けられるのかと。
だが其れ以上に、口には出せない羨望を覚えたのもまた事実。
ミスター・ハイドはやや小柄だが、素振りに関しては此方が狼狽ぐ程の余裕に満ちている。
皮肉屋なのはこの為だろうが、其れすら彼の魅力の内の一つに他ならない。
対して、自分はどうか。 背丈が低いばかりか、身体も多少の不具合があり、面差しには奇形の象徴すら認められる。
上下を付けるならば、確かに相手が上だった。
ほら呼んで、とミスター・ハイドは何処か強請る様な仕草を見せた。
どうも少年を気に入ったらしい。 そう言えば、可愛いと言われたか。
聞き慣れぬ誉め方をされ、多少羞恥もあったが、やはり答えなければならないかと、おずおず少年が口を開きかけた…其の時。
「ねぇ待ってよ、ハイドくん! 今日はボクの誕生日祝いなんでしょ!」
ジルドレがミスター・ハイドを盗られるまいと、一際高く発言する。 自然とミスターも、其方へ注意が反れるのであった。
そう、この茶会はジルドレの誕生日を兼ねて開催されているのだ。 其れなのに、主役を放って置くというのも妙な話である。
ミスター・ハイドは苦笑を残し、「すみません」と呟いた。
すると未だ不機嫌な表情のまま、ジャックがジルドレへ視線をやり、「御前な…」と言葉を連ねる。
「そういう餓鬼っぽいトコ、直せよな。 もう少しハイドを気遣えって」
勿論彼の言うハイドとは、少年の面差しを残した幼いハイドの事である。 ジルドレが唇を尖らせ、反論しようとした…が。
失笑の声が響く。 ドラキュラのものだ。
「私からすれば、御前も充分餓鬼だがな」
「はぁ?」
ジャックが首を傾け、ドラキュラへ視線を据える。
「そりゃ、アンタからすれば皆餓鬼だろうよ。 イチイチ俺の言う事に突っ掛かってくんな!」
「私の発言が気に入らないというのなら、無視すれば良い。 其れが大人の対応だ」
至極最もな所を突かれ、ジャックは言葉を詰まらせた。
僅かな沈黙の隙に、ドラキュラはカップの中の紅茶を一口嚥下する。
一方ジルドレはというと、押され気味のジャックを見るのは初めてなのか、物珍しい色を瞳に浮かべ、
ドラキュラとジャック、双方の間を視線で行き交うのだった。
すると、其の内素朴な疑問が涌いて来たのか、ジルドレはドラキュラの顔を覗き見る。
「そう言えばアンタ、ヴァンパイアだってね。 通りで僕の血を飲んじゃったわけだよ」
ジャックからでも聞いたのだろうか、其れとも返り討ちにされた時にでも気付いたのか、
何れにせよ、ジルドレはドラキュラの素性を隠す事無く其の儘明かした。
其れでも、幽かに驚いた表情を作ったのはハイド少年だけで、この場の殆どの者は至って平静なものだ。
ドラキュラは不愉快だとでも言うように、口許を下げる。
何せ、彼は一度ジルドレによって身体を刺し貫かれた身柄なのだ。
よって、この青年に対して良い感情を抱いていないのは当然である。
しかも、危害を加えられた理由が未だ判然としない。
ドラキュラがヴァンパイアだから? 否、彼の口振りからして、其の事実に気付いたのは刺して後の事。
暇潰しのヴァンパイア・ハントという訳でも無かろう。 ならば、何か。
結局は不可解な謎が残るだけで、其れは其の儘ジルドレへの不快に繋がるのだった。
だがジルドレはと云うと、このドラキュラの心持を揶揄するかの様に問いを被せる。
「じゃあ聞くけど。 ヴァンパイアさん、具体的にどれ位生きているのかな?」
からかわれる事により、ドラキュラの中で新しい不愉快が芽を出した。
が、流石に人の質問を無視する程無礼ではないのか、ドラキュラは簡潔に「四百年程」とだけ答える。
其れ以上は述べない。
「よんひゃくねん?」
ジルドレは呪文を唱えるかのような調子で呟いた後、口の中で「化け物じゃん」と転がすのだ。
此れに対し、ドラキュラは鼻で笑って見せた。
「意外な人物から貶されたものだ。 はて、果たして人の事を言えるのか…」
どういう意味だと、ジルドレが眼を細める。 刹那。
「まぁまぁ」
ハイドが微苦笑を浮かべながら、ドラキュラの素っ気無い解答を緩和しにかかった。
「伯爵、貴方はどうも人に嫌われる天才の様だ。 善人にも、悪人にもね」
此の侭では場の雰囲気が険悪の侭終わってしまうと、懸念したのか。
ミスター・ハイドは其の達者な弁舌を駆使し、重苦しい空気を持ち上げる様働くのだった。
「四百年前…という事は、十五世紀を生きたのですね。 そう言えば、当時は百年戦争が締結した時期では?」
ねぇ?とジルドレに話題を振るが、すっかり機嫌を損ねてしまった彼は、拗ねた様にそっぽを向くだけ。
今度は少年ハイドへ視線を移し、ねぇ?と首を傾ける。 すると、少年は数秒迷う様な素振りを見せてから、躊躇いがちに頷いた。
どうも知識があるというよりかは、相手と話を合わせる為の礼儀が強く感じられる仕草である。
此れに止めを刺さんとばかり、ジャックが吐き出すように発言した。
「何百年も前の事なんざ、興味ねぇな」
無愛想な彼等の対応に、「嘆かわしい」とハイドは眉間に皺を寄せ、首を緩慢に左右する。
「愚かな。 貴方達は、歴史の美しさに感動を覚えた事は無いのですか? 一つも?」
どうやら返答が無い。 此れを肯定の意味に取り、いよいよハイドは落胆の色を濃く見せた。
場を盛り上げるつもりであったのに、余りの味気ない回答に、互いを阻む剣呑の溝が更に深まった様である。
最早誰もが沈黙を守り、茶会と言うよりかは礼拝の儀式を連想させる空間となりつつあった。
数秒後、流石にばつの悪さを感じたか、ドラキュラが渋々開口を見せた。
「百年戦争か…他国の事だが、聞いた事はあった。 下らぬ両家争いが発端だったと思うが」
彼にとっては気を利かせたかもしれない一言はしかし、枯れた地を潤す程度の効果も望めない。
此処でミスター・ハイドが合いの手でも入れるならば、少しは変化もあっただろう。
しかし一度感情が底辺に落ち込んでしまえば、彼は這い上がってくるのに時間が掛かる。
発言する様子も見せず、唯カップを持ち上げ、中身を嚥下するだけ。
ドラキュラは溜息を吐き、何とか己の話題の持続を謀った。
「私から言わせて貰えば、仏国は実に優秀だ。 一度戦況が落ち込んだにも関わらず、挽回を見せる底力は素晴らしい。
其れに比べて、英国は実に不甲斐ないものであったな」
途端、一方で乱暴にカップを受け皿に置く音が、もう一方で「判ってるね!」という同意の声が響く。
「英国人は馬鹿だと言いたいのですか!?」
陶器の打音を盛大に響かせたのは、ミスター・ハイドであった。
彼はこう見えて英国人である事に誇りを持っており、故に英国への侮辱は其の儘己への侮辱と取るのだ。
彼は不機嫌の余り、ふんと鼻を鳴らす。
対照的に、ジルドレはハイドの言葉とほぼ同時の形で身を乗り出し、ドラキュラへ訴えた。
「仏国が名誉を勝ち取ったのは、他でもない僕の御先祖様の御蔭さ!」
何やらややこしい事になったと、ドラキュラは表情を僅か歪める。
横でジャックが失笑した。 どうやら奴が話し下手らしい事を知ると、自然と優越感が生まれてくるのは、どういう訳か。
そうとは知らず、ドラキュラは眉間に刻んだ皺を弛める事無くジルドレと応対する。
「先祖? 先祖が、何だ?」
「肝心なところで知識が薄いなぁ」
ジルドレが不満気な表情を作るが、直ぐに口許に笑みを乗せると、「良いかい?」と語りかけた。
「僕の先祖は終戦後、英雄とも謳われた誇り高い騎士なんだよ。 最も、其の後の彼については誉められたもんじゃ無いけどね」
コイツを見りゃ、納得いくだろ?と、ジャックが間に割り込む。
其れに対して、ジルドレが再び不満気に口先を尖らせた…其の時だったか。
突如、ドラキュラが何かを思い出したのか、感嘆の声を漏らしたのだ。
「判った。 確かに、御前と同じ将の名を聞いた気がする」
「ホントに?」
やはりジルドレとて、己の血を誇りに思いたいものなのか。
先祖の名を知っている者に出逢うと、自然と気分が高揚してくるのだった。
だが彼は、忘れていた。 其の相手が他でもない、叱り上手の誉め下手な魔物であるという事を。
「どうも戦後は残虐の限りを尽くしたらしいな。 てっきり、死後はヴァンパイアにでもなったのかと」
人間が真祖のヴァンパイアになる条件として、生前に行き過ぎた非道を振舞う事が挙げられる。
この事を指しているのだろうか。 何れにせよ、好い加減な知識は目の前のジルドレを挑発するのに充分であった。
「ヴァンパイア? アンタなんかと一緒にしないで欲しいね」
其れまで無邪気な幼子のように瞬いていた瞳が一変、実に冷酷な色を象り始める。
視線は細く窄まり、針となって高慢な伯爵の喉元を射るのだった。
「訂正しなよ。 僕の先祖を侮辱する事は赦さない」
ところがドラキュラといえば、臆する事無く悠長な態度で以て、背凭れに上半身を預けた侭なのだ。
媚びる事を知らない尊大な魔物は、嘗ての武将の血を宿す青年に向かって言い放った。
「いっそ私の様な崇高なるヴァンパイアになれば、御前の様な間の抜けた子孫を残さず済んだろうに」
この一言が合図とでも言うように、ジルドレはテーブルからパンを切り分ける為のナイフを浚う。
今にも刃を突き出さんばかりの剣幕であった。 其れでも狼狽は見せず、ドラキュラは片眉を動かすだけ。
「そうか。 御前が其のつもりなら、私は止めない。 だが…」
呟くと、彼は席を立つ。
「ナイフは下ろせ。 其れは人を斬るものではない。 刃の代わり等、此処には沢山ある」
ドラキュラは或る壁の一角まで歩んだ。 其処には幾本もの抜き身の剣が、放射状に掲げられている。
窺える刃の光は鋭いものの、しかし一本一本が実践というよりは、装飾の役割を濃く主張していた。
ところが彼はこの内二本を抜き取ると、一本を携え、一本を床へ穿つのだ。
どうぞ、と開いた片手で床に突き立つ剣を示されると、ジルドレも納得したようにナイフを置き、席を立って歩み寄る。
「おや」
この様子を見送り、ハイドが若干気分を持ち直したような歓声を上げた。
「新しい趣向でしょうか、茶会に舞踏とは」
先に起こるであろう事を期待してか、其の点ではジャックもやや興味深げに遠くの二人を見守る。
ハイド少年も、ジャックに釣られて視線を同じ方向へ。
こうした三人の好奇を他所に、ジルドレは床に留められた剣の柄を握ると、此れを抜き携えた。
ドラキュラはと云うと、変わらぬ表情で一連の動作を見送るのみ。
この余裕染みた態度が気に喰わないのか、ジルドレが精一杯の侮蔑を込めて相手を睨み付けてやる。
しかし、其れさえもが心地良いとばかりに、不敵な伯爵は眼を細めたのだ。
「御前は私を不快に思っているのだろう。 其れは私も同じだ。」
告げると、ドラキュラは剣を片手で手馴れた様に扱いながら、ジルドレの敵意を何気無く受け止める。
「決着を着けようではないか。 私が格上だという事を明確にしておいた方が、御前も納得が行くだろう?」
すると、ジルドレは視線の圧を緩め、代わりに面白そうだとばかりに不敵な笑みで表情を染めた。
「不快? 心外だね、僕は貴方が愛しいのさ」
彼は、刃をドラキュラの首筋へ宛がう。
「愛しくて愛しくて愛しくて…そう、標本にしてしまいたいくらい」
其の儘ゆっくりと力を込めてやれば、彼の其処には朱の筋が浮かび上がった。
「嗚呼、可愛いね。 目に浮かぶようだよ。 両の翼を打ち付けられ、其の模様を晒す事しか出来ない貴方の姿が」
ドラキュラは頬を固める。 なるほど、奴が私を襲った理由が少しばかり晴れた…と。
しかし、其の様な思索に囚われるのも、一瞬の事。
直ぐ様此れを鼻で笑った後、己の持つ剣でジルの刃を払い除けるのであった。
剣と剣の切り結ぶ独特の音色が響くと、此れに感化されたか、途端にジルドレの瞳孔が開く。
反射的に目の前の身体を貫く様腕が動くが、そうは簡単にさせて貰えず、ドラキュラは半歩横にずれる事で此れを遣り過ごした。
次に袈裟懸けに切り込もうと、ジルドレは刃を持ち上げる。
だが先を読まれたか、其れが振り下げられる前に、ドラキュラの刃が軌跡を阻んだ。
さて。 こうして双方の攻防が織り成す中、戦況を見学する三人の内、ジャックが剣呑な声を挙げる。
「おいおい…大丈夫だろうな、アイツ」
何せ、ジルドレは一度ドラキュラに敗北しているのだ。 其れも、あの魔物の気紛れの一環に巻き込まれたに過ぎない。
血液を抜き取られ、暫く目が開かなかった彼の身を思い起こせば、自然仲間を想う情が先立つ。
今回も負けるとは限らないが、勝つとも確信出来ぬ試合に、ジャックとしては不安を感じるのも無理は無い。
ところで。 其の様な彼の隣では、ちまぢまと腰掛ける少年の顔。
先程まではジャックと共に、ドラキュラとジルドレの対峙へ視線を向けていた彼だが、次第に退屈になったのか。
今では手近のキューカンバー・サンドイッチを手に取り、此れを意味無く分解しようと努めている。
少年の拙い様子を目に入れ、思わず口許を弛めるハイド。
嗚呼、可愛らしい少年だ。 是非彼ともっと話をしてみたい…
其の時。
まさかハイドの願いを悟ったわけではなかろうが、ジャックが席を立ったのだ。
彼の足が戦禍の根源へ向いている事から、恐らくジルドレを案じての様子見に違いない。
どの様な状況であれ、ハイドにとっては目の前の少年と仲を深める為の、絶好の機会である。
ハイド少年は先程から懸命に、サンドイッチを弄っていた。
しかし発育不全な手先の所為か、パンを開く事だけでも一苦労を強いられる。
「リトル、パンを開きたいのかな? 手伝ってあげるよ」
ミスターは少年の有無も聞かぬ侭、パンを掠め取ると、あっさり其れを開いてしまった。
少年はやや不満気な表情を見せたが、其れも有耶無耶な色となり、納得行かぬままに「有難う」と呟いてしまう。
だがハイドは少年の心に気付かず、どう致しましてと己の親切を露にするのだった。
苦労してサンドイッチを分解し終えると、満足気にハイド少年は吐息をついた。
と其処で、少年は漸く隣の席にジャックが居ない事に気付いたのだ。
何処へ…? 彼は視界を左右にずらし、目的の人物の居場所を探ろうとする。 が。
「何も心配する事は無いよ。 其れより、サンドイッチをお食べ。 君も茶会の客なのだから」
ジャックが気掛かりといえば気掛かりだが、ハイドの柔らかい言葉が向けられれば、自然と注意は其方に反れた。
元々食べる気は無かったものの、不思議と彼に言われればそうせざるを得なくなる。
素直に少年は頷くと、差し出されたパンを手に取り、其れを食べようと口許に運ぶ。
だが、其の直ぐ後に供えられたハイドの発言は、折角涌いた彼の食欲を殺ぐものだった。
「さて、美味しいだろうか。 伯爵が作ってくれたのだよ」
開いた口の寸前で、少年はパンを運ぶ手を止めた。 本能や意外性に従った結果であろう。
誰が作ったって? あの、伯爵が? 爵位を持つにも関わらず器用であるのは、彼が長らく生きた証拠なのだろうか。
ハイドはそうした少年の動作を微笑み見送ると、パンを彼の手から取り上げた。
「やはり、ヴァンパイアが作ったものは口にしたくないかな?」
そして其の一欠片を自らの口の中へ放り、暫くの租借の後、味わう様に嚥下する。
「味は悪くないようだが… しかし、無理に食べる必要は無い」
其の儘ハイドは自然な成り行きで、少年の両手を握り込んだ。
こんな短い時間で他人に触れられるのは、喧嘩の時意外で初めての事である。
不規則な肉の厚みを残した無骨な手を、綺麗で繊細な指が包み込んでいた。 それも、好意を込められて。
一気に心の距離を詰められ、少年は戸惑いを感じた。 だが、此処で狼狽するのは所詮彼一人だけ。
「今から私が、君にサンドイッチを奢ってあげよう。 勿論、ちゃんとした店でね」
良いかな?と、ハイドは小首を傾けた。 先程まで翳りを感じさせた彼の灰眼も、この時ばかりは期待に瞬く。
何処か憎めないミスターの仕草に、「さぁ、どうだろうか」と少年は暫く考えた。
この男に勝手について行っても良いものか。 随分と懇意に接してくれるが、果たして其れに甘んじても良いものか。
結局は数秒後、やや迷いながらも、少年は首を縦に振るのだった。 ハイドが喜んだのは、言うまでも無い。
何せ毛並みが珍しく、尚且つ仕草が愛らしい少年を連れ添い、倫敦を歩くのだ。
誰だって物珍しい動物は、一度くらい飼ってみたいと思うものだが、其の点ではハイドも己の心を裏切り様が無い。
一方少年も、ミスター・ハイドと一緒に倫敦を歩いてみたい、そう考えての結論だった。
彼の様な大人と肩を並べて歩けば、己の足らずが際立ってしまうのは、目に見えている。
しかしながら其れでもハイドに沿いたいと願うのは、彼が他でもなく、己が思い描く理想の姿だからかも知れない。
嗚呼其れに、まだ彼には「ミスター・ハイド」と呼んであげていないし。
互いの意見が噛み合った今、此処に長く留まる理由は無い。
二人のハイドは、最早茶会として意味を成さぬこの場を抜け出し、倫敦の闇へと一歩を繰り出すのである。
そうとは知らない、ドラキュラ、ジルドレ、そしてジャック。 彼等の行方を知る者は、彼等次第と表記しておこうか。
[ E N D ]
なんか可愛い小動物が一匹いるんですけど・・・!!(驚嘆歓喜)
まさかハイド様が拙宅ハイドにモーションかけてくれようとは思いもよらず。良かったねチビハイド!!(笑)
つーかお前は茶会の席で何サンドイッチ分解してるんだ・・・!(笑)可愛いにも程があるだろ!
ちなみにハイド様についてちゃったことで後日ジャックに「知らない人についてっちゃダメだってあれほど言っただろう」とか言われてればいいよ。(笑)
大穴狙いな子がフューチャリングされてて萌え。そして剣交え始める伯爵様と汁に萌え。
あーもうお前らカッコ可愛いすぎるだろ!!(>_<)
ナキトさん、こんな素敵作品に仕上げてくださってどうもありがとうございましたーーーッ!!
ブラウザバックプリーズ!
07.11.22.from:ナキトさん