しゃりしゃり・もしゃり

 

 

僕は今、白雪姫の毒リンゴにも負けないリンゴを食べている。

 

 

 

『毒リンゴ』

 

 

 

実家から送られてきたリンゴを

無精な僕は皮も剥かずに、碌に拭くこともせずに口へ運ぶ。

 

『毒の無い食べ物なんて無いのよ』

 

いつだったか母親がそう言っていた。

無農薬野菜と銘打っていても、実のところ多かれ少なかれ、農薬は使われているのだと。

生まれが農家だった父と母は、街の人間だったら知りもしないような、教科書にも載らない真意を知っていた。

その真意はいつも悲しいほどに正しくて、僕の中でそれらは絶対だった。

ただ社会のシステムはそんな真意なんて隠してしまうものだから、僕はいつも上辺だけは社会的だ。

 

いつだって真意は心に。

一も二も無く従っているフリをしながら、いつでも見切れてしまうほど、この心は真意を知ってしまっている。

 

 

しゃりしゃり・もしゃり

 

 

店に並ぶ、外見の良いだけのものと違って、形は悪くとも上質の美味さを持ったリンゴの汁が手を汚す。

街の連中が食べるのはまだ熟れる前にもいだものばかり。

勿論、そうしないと店頭に並べないのは解かっているが───

そんなものを高い金を出して買って、美味しいなどと言っている輩に、お前の舌は大丈夫かと言ってやりたくなる。

この味を知らないのかい?、と。

 

『昔はね、店に並ぶリンゴは白雪姫の毒リンゴだったのよ』

 

唐突な母の言葉に、何を言い出すんだと首を傾げた。

高度経済成長で好景気の職場を体験していた母は、街の記憶をこうして突然語りだす。

 

『街に出荷するリンゴはね、昔は磨いて出していたの』

 

つまり、話はこうだ。

街の店頭に出すものは、形も良く、傷ひとつ無いものが常。

先に言ったとおり、まだ熟れる前のもの。

ガチガチに固い、その赤いリンゴを、仕上げとばかりに布で磨き上げることで当時は店頭に並べていたらしい。

テラテラと光るまでに磨き上げられたそれは。

まだ熟れる前のそれは、まるで、玩具のような。

 

まさに絵本の『白雪姫』の挿絵に出てくる、魔女の毒リンゴそのもので───

 

 

しゃりしゃり・もしゃり

 

 

街の人はなんて恐ろしいものを食べるのだ。

店頭に並んだそのリンゴを見て、真意を知っている母は知らず戦慄いたそうだ。

そんなものを平気で買って行く他人を見て、きっとあの人はあのリンゴがまだ熟れていないとは知らないし、

そのまま食べてしまったとしても、『リンゴとはこういうものなのだろう』と思って済ませてしまうのだろうと思った、と。

何の疑問も抱かずに。

それが『未熟な味』だということも

『磨かれた美しさ』なのだということも知らずに。

 

真意を知らないとはこういうことだ

こういうザマなのだ

 

それは『磨かれたリンゴ』が無くなった今も同じで。

 

 

しゃりしゃり・もしゃり

 

 

僕は今、白雪姫の毒リンゴにも負けないリンゴを食べている。

拭かずに食べてしまったこのリンゴの皮には、少なかれ消毒された農薬が付着していただろうし、

それが体に悪いだろうことも知っていた。

けれども僕はそれを食べる。

体内に塵のように積もってゆくそれは、確かにいつか僕の体を壊すかもしれないが。

それが積もりに積もって体に害を及ぼす頃には、そんなものを発症してもおかしくないほどの

年齢に達しているのだという真意を、父母の最期を以ってして僕は知っているから。

 

 

しゃりしゃり・もしゃり

 

 

そろそろ終わりの時期を迎えるリンゴを、今年も惜しむかのように口いっぱいに頬張り続ける。

 

 

 

END

* * *

『磨いたリンゴを店頭に並べていた』というのは母親から聞いたホントの話。
磨かれて毒リンゴの如く赤黒く光るそれを見て、母は
『街の人はこんなのが美味しそうに見えるんだろうか』と絶句したそうです。
日本が好景気だった頃ならではのお話でした。

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