いつもどおりヤードに出勤してきた朝。

 すでに慌しい署内を見回して

 溜まりに溜まった書類の山の中に、アイツの頭が見えないことに気づく。

 

 

 

 風邪のち二人。

 

 

 

「おい、グレグズンはどうした?」

「え?グレグズンさんですか?あれ??」

 レストレイドに尋ねられたホプキンズが顔を上げて先程のレストレイドと同じように書類の山に埋もれたデスクを覗いた。

 しかしそこにいつもダルそうに座っているグレグズンの姿は無い。

「まだ来てないんですかね?」

 意外だ、とでも言うようにホプキンズがきょろりと視線を巡らす。

 怠惰の代表とでも言うべきグレグズンだが、出勤に関しては遅れてきたことが無い。

「何か言いつけ事でもあったんですか?」

「いや───・・・」

 

 取り立てて言うべき用事は無い。

 だがこの書類の山をどうにかしろと言いたかっただけで。

 言ったところで、あの男は生返事でやろうとはしないのだろうが。

 

「風邪だ」

 突然背後から囁かれた声に驚いてレストレイドとホプキンズが振り向くと、そこにアルセニーが立っていた。

 何の感情も読み取れない真っ黒な瞳がまっすぐに前を射抜き、彼が喋ると黒いマスクで覆われた口元がほんの少し動いた。

「風邪って、グレグズンさんがですか?!」

 ただちに体勢を直してホプキンズが訊いた。アルセニーが小さく頷く。

「熱と頭痛と吐き気がいっぺんに来たらしい。

 とてもじゃないが出勤できそうに無かったんでな、ベッドに押し付けてきた。本人は行く気でいたが。」

 そういうわけで、ヤツは今日は欠勤だ。

 アルセニーが体の向きを変えてレストレイドに告げる。

「・・・珍しいこともあるものだな」

 レストレイドは呆れたように答えた。

 実際、今ひとつピンと来ていなかった。

 グレグズンが風邪で弱ってるところなんて、想像もつかなかったからだ。

「怠け者でも風邪引くんですかね?」

 そう言ってひょっこり顔を出したのはブラッドストリート。別名ヤード一のペテン師。

「それを言うなら『馬鹿でも』だよ、ブラッド。それに怠けてたらそりゃ風邪引くんじゃないの?」

 ホプキンズの諭しにブラッドストリートがあ、そうかとうっかりしていたように納得する。

 そんな二人の会話を尻目に、レストレイドは視線をグレグズンのデスクに移した。

 主の居ない書類御殿はまるでただの空きデスクで、単なる書類置き場のように見えた。

 

『見舞いに行くのか?』

『ん?あー・・・ああ、一応、様子を見に。』

『・・・行くのは構わんが、驚くなよ(あと怒るなよ)』

『?』

 

 風邪でへたばってるというグレグズンの様子を見に行くと言ったらアルセニーによく分からないことを言われた。

 そういえばアイツはしょっちゅうこちらの部屋へ泊まりに来るが自分はヤツの部屋に行ったことが無い。

 流れ的になんとなくいつもそれが自然だったので何とも思わずにいたが。

「・・・デスク並みに部屋を汚してるんじゃないだろうな・・・・・」

 書類で溢れかえってるデスクから連想して、床が見えないほど物で埋まってる部屋が思い浮かんだ。

 もしそうだったら自業自得だと罵って帰ってやる。

 容易に想像できる分、苛々してきた。

 そんな所に足を向けようとしている自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

 いっそ行かずに帰ろうかとも思ったが、自分のアパートと逆方面にわざわざ足を向けた手前そうするのもまた馬鹿らしい。

 足を進めて行くうちに見えてきたアパートは外観上、自分のアパートと大して変わらなかった。

 

「おい、グレグズン?」

 部屋の前に立ち、ドアを何度かノックする。

 が、部屋の中からの応答は無い。

 医者に行って留守なのか、それとも答えを返せないほどにへたばっているか。

 どっちともつかないな。

 そう思って試しにノブを回してみるとチャッ、と軽い音がして開いた。

 医者の不養生。刑事の・・・無用心?

 やれやれと呆れた溜め息を吐きながらそっとドアを押し退けた。

 

 入った瞬間、部屋を間違えたかと思った。

 だって中はガランドウ。ぽつりぽつりと置いてある家具は以前の住人が残していったもののように見える。

 床も、壁も、天井も。

 板がむき出し、あるいは壁紙が剥がれかかっている。

 目の前に広がる寒々とした光景は確かに空き家のそれだった。

 かろうじて私が引き返さなかったのは、寝室らしい奥の間から呻き声が聞こえてきたからだ。

 足早に奥の間に向かうと、そこもまた先程の部屋と同様のありさまだった。

 窓辺にひとつ投げ出されるように置かれたベッドの上、丸くなった毛布の中から見慣れた金糸が僅かに顔を覗かせていた。

「・・・ッ、っっんの、馬鹿!!」

 罵声と共に毛布を取り払うと、日頃のダルそうな姿とはまた違う、ぐったりとした感のグレグズンがそこに居た。

「・・・・?れすとれいど・・・・?」

 ぼんやりと薄く開いた瞼の間からライトグリーンが細く覗いた。

「こんなトコで休んでたって良くなるわけないだろ!なんだってお前はこう・・・!!」

 

 こんな空き家のような部屋で、

 こんな薄い毛布に包まって、

 こんな・・・・

 

 怒りばかりが先走って言いたいことをうまく言葉にできない。

 怒っているはずなのに何故か泣きたい衝動が先に立つ。

 アルセニーの言った言葉の意味がよく分かった。

「・・・・?」

 グレグズンはただ訳が分からないという風にこちらを見上げてくる。

 熱に侵されたグレグズンには、こちらの怒号もよく聞こえてはいないのだろう。

 それが余計に私を苛々させた。

「ああ!もう!!」

 バフッと乱暴にグレグズンに毛布をかけると踵を返して部屋を出た。

 通りで馬車を捕まえ、待っていてくれるように頼む。

 そうして再びグレグズンの部屋に戻る。

 グレグズンはさっき私に乱暴に被せられた毛布を抱えてぼうっと天井を眺めていた。

「おい、お前の着替えとかは?」

「・・・・・衣装箪笥の中・・・・?」

「なんで疑問系なんだ」

 しっかりしろよ、と小突いて言われた衣装箪笥の中から当座の着替えやらコートやらを取り出す。

 ついでに見つけてきたカバンにそれらを詰めて、コートの方は持ち主本人に着せる。

 というか。

「おまえ、パジャマも持ってないのか?」

 無理矢理体を起こさせたグレグズンの姿は捜査課でよく見るダラけたシャツにズボンだ。

 呆れを通り越してもう何も出ないとでも言うように呟く。

「あ〜・・・なんかめんどくさいし・・・・?」

「だからなんで疑問系なんだ」

 ほら行くぞとせかし立てて、朦朧としているグレグズンの体を支えながら馬車の待つ玄関へと歩いていく。

 途中何度か膝からガクリと倒れそうになって焦った。

 どうやら相当に風邪の菌の直撃に遭っているらしい。

 普段ならば大したことの無い距離をようやっと歩き切って動きが緩慢なグレグズンを

 馬車の中へと押し込み、自分も乗り込むと御者に行き先を告げる。

 行き先はもちろん私のアパートのある通りだ。

「・・・・?どこいくんだ?」

 馬車が動き出してからようやく、グレグズンがそんなことを訊いた。

 熱は相当彼の思考を奪っているらしい。溜め息を吐く。

「俺のアパートだ。あんな所で休んでたらいつまで経っても良くならないだろ。」

 ひとまず俺の部屋。その後で医者を呼んでやるからと言ってやるも、どれだけ頭に入っているやら。

 すでにグレグズンの目は焦点が合っておらず、どこかあらぬところを見つめている。

「横になれ。着いたら起こしてやる」

 素の時にせがまれたら絶対やってはやるまいが、今は特別と膝を貸してやる。

 目を閉じるように促すと、荒いながらもすぐに規則的な呼吸が聞こえてきた。

 じっとりと汗ばんだ額に貼りついた前髪を指でつまんで遊びながら、私はグレグズンの風邪が治った後の決心をつけていた。

 

 コイツが厭だって言っても、俺のところに来いって言おう。

 

 馬車の揺れと膝の上の重みを感じながら、それでも今更かなと思う。

 どう考えたって付き合うようになってからは彼が自分のアパートの部屋に帰ってくることの方が多いのだから。

 むしろこれは単なるきっかけに過ぎないのかもしれないな。

 そう考えながら、私は己の膝の上で寝息を立てている恋人の頬を優しく撫でた。

 

 

 

 END

 * * *
 先生、先生・・・いつもより甘いと思うんだ・・・(誰に言ってるの)
 副題は『同棲するきっかけ』です。
 きっと周りの連中から見たら「何?まだしてなかったの?!」みたいな感じでしょーね(笑)
 さりげにブラッドとホプキンズが酷いこと言ってますが彼らは意図せずして毒を吐いてると言い。(ブラッドは確信犯だけど)
 いやしかし当サイトで攻めが風邪引きのネタは珍しいような気がする。
 だって某探偵を風邪引きにすると必ずカキの大群が出現してギャグに持っていきたくなっちゃうんだもの(笑)
 あれ、でもこの展開で行くとグレさんおムコさん?!!(笑)

 ブラウザバックプリーズ!

 06.12.01.SUISEN