「寒くなってきたからね。ここでまた体調を崩しては元も子もない。」
そう言ってラッフルズは僕の首にマフラーを巻いてくれた。
巻かれたマフラーの柔らかさについ泣き出したくなる。
彼が、彼が生きているのだ。
彼が生きて、ぼくの目の前に。
彼が───
あなたのいる世界。
秋は盛りを過ぎて、紅葉から枯れ葉に変わった木の葉が街路を埋め尽くさんと言わんばかりに降り注いでいる。
そんな木の葉舞う中、人もまばらな公園内に車椅子を押して歩く人影。
「もう秋は頃を過ぎて冬支度と言ったところだね、バニー」
真っ黒なトレモント・ハットに黒コートを羽織った男が車椅子に乗った男に気心が知れたように話しかける。
目深に被った帽子をクイ、とずらして見せた顔は南アで行方不明になったはずの男の顔───ラッフルズ。
「うん───温かいものが手放せない季節になったよ」
車椅子のバニーが宙に向かって手を差し伸べる。
ハラハラと人間の目には読みきれない動きで舞い落ちてきた木の葉はその手をすり抜ける。
ラッフルズはバニーの頭へと手を伸ばし、彼の頭についていた枯葉をそっと取った。
「今日はもう温かくなることも無さそうだし、そろそろ戻ろうか。」
風も冷たくなってきたしね───
ラッフルズの提言にバニーが肯くのを見ると、ラッフルズは不意にバニーの前に回ってバニーと視線を合わせた。
「はい」
「あ、」
首に柔らかな感触。
「寒くなってきたからね。ここでまた体調を崩しては元も子もない。」
そう言ってラッフルズはバニーの首にマフラーを巻いてやった。
巻かれたマフラーの柔らかさに、バニーはつい泣き出したくなる気持ちを抑えた。
彼が生きている。
彼が生きて、いま、ぼくの目の前にいるのだ。
ああ───なんて奇跡。
ラッフルズが巻いてくれたマフラーに顔を埋めて、バニーは軽く目を伏せた。
ラッフルズが南アの戦争で行方不明になり一人戻ってきたバニーはラッフルズの物語を書き上げてからはその体調をすっかり崩してしまっていた。
バニーにとってラッフルズの存在しない世界はただ通り過ぎゆくものに過ぎず、病に伏せることでその思いはいっそう増していった。
こうして人知れず朽ちていくんだろうと思っていた、その矢先。
彼は帰ってきた。
彼が、帰ってきたのだ。
ラッフルズが──生きて───
もう一度。
「バニー、寝てるの?」
「ううん、起きてるよ。」
街路の敷石に沿ってガタガタと音を立てる車椅子の揺れに意識を傾けながら、バニーは伏せていた目を上げた。
「急に黙るから心配になるじゃないか・・・もっとも、君は僕ほど『手間のかかる病人』ではないけれどね。」
ラッフルズの含んだ言い回しに、バニーも、ああ、と同意のような声を漏らす。
「そういえば、君を乗せてぼくが車椅子を押した事もあったっけね。いまと逆だ。」
「ちょっといいバルコニーを覗いたばっかりに、飛んだ目にあったけどね。」
「それは君の日頃の行いの賜物だろう?」
「うまく逃げられたのも、日頃の行いの賜物だっただろ?」
クスクスと笑いを零すラッフルズに、少々呆れた様子でバニーが返す。
しかし同時にその呆れの中に滲むような幸福感も、バニーは感じ取っていた。
少し前まで、もう二度と手に入れられることは無いだろうと思っていた、彼と叩く軽口、充足。
車椅子の車が、甲高い軋みを上げた。
「ねぇ、バニー。」
「うん?」
「南フランスに行かないかい?」
「───え?」
バニーは驚いて顔を逸らして背後に居るラッフルズを見上げた。
見上げたラッフルズの顔は、そんなに驚かなくても、とでも言うように苦笑いを浮かべていた。
「君の具合も前に比べたらだいぶ良くなってきたし。でもこれからロンドンは冬を迎えるだろう?
そのせいでせっかく復調の兆しを見せた君の体がまた壊れでもしたら、
僕は自分の罪をどう贖(あがな)ったらいいのか分からなくなってしまう。───だから。」
だから冬でも暖かい、地中海に面したところに行かないか、と。
贖うだなんて───そんなこと、気にしなくていいのに。
彼が目の前に居てくれるだけで、生きてこうしていてくれるだけで、たとえようもない幸福を感じているのに。
そう、バニーは思う。
「ダメかな。」
少しトーンの落ちた声にバニーは我に返ると慌てて首を横に振る。
「そんなことないよ。とても、嬉しい。」
はにかむように笑ってみせたバニーに、ラッフルズもホッと息を吐いて柔らかな笑みを浮かべた。
その後ラッフルズとバニーは旅支度を整えてサザンプトンから出る船に乗り、当座、南フランスのニースへと向かった。
ラッフルズはバニーに詳しくは語らなかったが、その雰囲気を察するに南仏で過ごす場所をすでに整えてあるようだった。
以前『皇帝への贈り物』事件でバニーはラッフルズに敬遠され快適ながらも孤独な船旅を過ごしたが、
此度の旅は終始ラッフルズが側についていてくれる、楽しい旅になった。
復調してきたとは言っても良好とは言えない体調のバニーはほとんどを船室で過ごしていなくてはならなかったが、
その間もラッフルズはずっと側に付きっ切りで居てくれた。
天気が良いのなら少し外の空気を吸ってきたらどうだとバニーが気を遣って勧めても、
「加えて君の体調が良いときに取っておくよ」
と言って譲らなかった。
ラッフルズに悪いと思う反面、バニーの心は満たされて、幸福だった。
そんな船旅の最中、いつもどおりバニーは船室でラッフルズとの会話を楽しんでいたのだが、
ふと意識が途切れて気がついたらベッドに寝かされていたことがあった。
眉根を寄せて、酷く心配そうな顔で覗き込んでいたラッフルズに目を覚ましたバニーが何があったのか尋ねると、
急に意識を失って倒れたのだとラッフルズは告げた。
その折にラッフルズが船内を走り回って医者を捜してくれたことや、
バニーを診てくれたその医者が彼の英国探偵の友人ドクター・ワトソンであったこと、
そして何よりその英国探偵、ミスター・ホームズも乗船していて、ラッフルズの正体がバレたことをバニーが知るのは、
船内でちょっとした事件が起こってからのことだ。
とにもかくにも万人に等しく降り注ぐ楽園を追放された二人は、二人だけの場所を目指して人知れず歩き出す。
目指すのは
楽園でもなく
オーバニーの地獄でもなく
ただ
お互いが存在する、世界。
END
* * *
これでだいたい書きたかったエンド話は書けたかな。
これは『冷たい僕の〜』の続き的でハッピーエンド。新天地を目指す二人ですな。
最後のほうでちょろっと書いた英国探偵コンビが出てくる場面はたしかイラストのJunkでザザッと描いたのがありますね。
その辺いずれ詳しく話にできたらいい。漫画か小説かまだどっちかはわかりませんが。
とにかくこれでもかってぐらいにバニーにベタベタなラッフルズを書きたかったんです。(そこか。そこなのか。)
ブラウザバックプリーズ!
06.11.21.SUISEN