宛がわれた独房で一人、何をすることも物も無い。
そういうわけで、捕らえられた須原は日がな一日、何となく横になりうとうとしているのが常であった。
だから、その日も何の変化も無く茫洋とした一日で終わるはずだった。
血相を変えた看守たちが、バタバタと跳び込んで来るまでは。
『貴方、』
バタバタと騒がしい複数の足音が静まり返った独房の廊下に響き渡るに至って、
横になっていた須原は、はてと首だけ起こして音のする方へと捻らせた。
その音はあっという間にこちらに近づいてきたかと思うと、忙しない音を立てて独房の鍵が開けられ、
血相を変えた数人の看守たちが先を争うようにどかどかと中に入ってきた。
一様に慄くように目を剥いた様子の看守たちに、須原はとうとう身体を起こして彼らを見た。
「・・・・何事ですか?・・・さすがに5、6人も入って来られると狭いんですが」
言葉も無くただ妙に身体を強張らせている彼らは、つい今し方死刑を食らった罪人のようだった。
逆にその刑を食らった須原の方が、今は落ち着き払っていた。
仕方なく、もう一度『何か?』と訊くと看守の一人がようやく口を開いた。
あの男が逃げた、と。
「・・・それでどうして僕のところに来るんですか」
幾分白けた様子で須原が言った。
何だ、そんなことか。言外にそう思っているのが見て取れた。
あの男が逃げたとなれば、お前も既に逃亡している可能性が十二分にあったからだと看守は喚いた。
また別の看守が言う。何か知らないかと。知っていることを話せと脅すような口ぶりで吠え立てる。
須原は呆れ果てて物を言う気にもならなかった。
あの男とは影男・・・仮名、速水荘吉のことだろう。
憎き明智のおかげで共に捕らえられはしたが、姿も名も無いに等しいあの男のこと。ここを抜け出すなど、彼には雑作も無いことだろう。
むしろ当然そうするのだろうなと須原は思っていたので、かえって看守たちのこの騒ぎようが阿呆らしく思えた。
何を今更。
あの明智ですら、本名を割り出せなかった男なのに。
そんな正体の無い男が、たとえ死刑を食らうほどの罪状でないにしろ、おとなしく刑を受けるはずなど無いだろうに。
「僕は何も知りません。だいたい、僕はずっとこの独房から出てないんです。
外部と接触すると言えばせいぜい一日三回、あなた方が食事を運んでくるときくらいです。
ですからお調べになるのなら、僕の食事の運搬を担当した看守を調べたらよろしいでしょう?」
一息にそう言ってしまうと、須原はまたごろりと横になった。
くだらないことで騒ぎ立てないで欲しいと、その背が語っていた。
だが次の瞬間、須原は腕を掴まれて引きずり起こされた。
「何ですか・・・・」
顔を顰めながら須原が顔を上げると、そこにはさっきまで居なかった新たな看守が一人、立っていた。
「仮名、速水荘吉の逃亡により、万一のことを考えて急遽お前の独房を移すことになった。来い」
須原の手首には素早く錠がかけられ、そのまま引きずられるようにして独房を出た。
その看守は残った他の看守たちに独房内を虱潰しによく調査するように言った。
「・・・馬鹿馬鹿しい」
そんなことをしても、部屋の中からは何も見つかりはしない。
須原は本当に何も知らないのだし、あの男が逃亡したのだってそれこそ今聞いたばかりで、
どういった状況下で彼が居なくなったかなど知りもしないのだ。
第一に、どうして彼が逃げたからといって自分が逃げることになるのかと須原は思った。
確かに一度は協定の仲だったが、結局は互いに互いの首を狙う仲になった。
まあ実際に首を捕ろうとしていたのは自分の方だけで、殺人を厭う彼はただこちらの手の内からすり抜けるだけだったが。
そんな男が、わざわざ自身の首を狙う男と共に逃げ出したりするわけがないだろう。
むしろ逃げるのなら、こちらに迷惑がかからぬように逃げ出して欲しかった。
独房替えなど面倒だし、無駄な労力を使うだけである。
そこまで考えた須原がわざとらしく溜息を吐いたときだった。
ふと、目の前の光景に違和感を覚えた。
須原が思考の淵に沈んでいる間にも看守は彼の腕を抱えて黙々と歩いていた。
だがその歩みはいつのまにか独房の並びを過ぎ去っているのだ。
他の独房に替えると言っていたが、それは他の棟に替えるということだろうか。
しかしこの刑務所に、他に独房の棟があっただろうか。
まさか集団部屋に移すということは無いだろう。
須原が困惑し出した頃、不意に看守は歩みを止めると徐にそこにあった扉を開け、須原を中へと押し込んだ。
「ちょ・・・」
暗く狭いその部屋は機関室のようであった。
何を、と口走る前に看守は須原の着ていた冴えない囚人服を剥ぎ取った。
「なッ、」
そうかと思うと、今度は別の服を羽織らされた。
強引に着替えさせられ、最終的に頭の上に帽子を目深に被せられるとまた腕を引かれて扉の外へと出た。
「・・・・これは、」
廊下の蛍光灯明かりに照らし出されたそれは、看守服であった。
「こっちだ」
そう言う看守の横顔を、連れ立って歩き出した男の横顔を、須原はいま初めて視界に入れた。
その横顔はとくに特徴の無い、平凡なものに見えた。
けれど、部分的には?全体では平凡な男の横顔だが、その全体を構成する部分部分は・・・『あの男』によく似てはいないか?
「そんなに見つめられると、穴が開きそうだな」
クッと攣り上がった唇の端、目深に被られた帽子のつばから覗いたその目に。
「貴方、」
須原はただ呆然とそれだけ呟いた。
言いたいことは山ほどあるはずだが、再度開いた唇からは録音テープを再生するかのようにただ「貴方、」と繰り返すだけだった。
気がつけば二人はもう外へと出ていた。
目の前にはトラックがつけてあり───どうやら死体運搬用らしかった。
手馴れた様子でトラックの中身を確認する男の様子を、須原はぼうっと見ていた。
「ぼやぼやするな。さっさと行くぞ」
声をかけられた須原は『ああ、』だとか『ううん、』といった生返事を返し、半ば男に押し込まれるようにしてトラックの助手席に乗り込んだ。
すぐにエンジンがかかり、ゆっくりと門扉のところまで移動する。
運転席の男が窓を開け、軽く手を挙げる程度であっさりと確認は済み、二人を乗せたトラックは無事に灰色の世界から抜け出した。
「貴方、何を考えてるんです」
トラックが刑務所を出て暫く走った頃、ようやく須原が口を開いた。
「何を、とは?」
運転している男の方も、今はその化けの皮を剥がしていた。
否、この男の場合、何枚剥ごうとも現れるのは化けの皮でしかないのかもしれないが。
「逃げるなら、一人で良かったでしょう」
協定と裏切りを繰り返した二人だ。
そもそもに、最初にこの男の命を狙ったのは此方の方だ。
助けられる意図が分からない。
「別に一人でも二人でも構わないだろう」
逃げられれば同じことだ。男───影男と呼ばれた正体無き男は事も無げにそう言った。
「僕はまた貴方の命を狙うかもしれませんよ?いいえ、きっと狙うでしょう」
何故、わざわざその危険の火種を連れて外に出るのだ。それが理解できない。
細く鋭い目で須原が横の男をキッと睨めつけると、男はやはり口角を上げて言った。
「前にも言ったが、君は消すつもりでも僕の方は消されやしないよ。それに、そのスリルは面白い」
目の下に隈のある、それでも美男子と呼べる色気を持った男を須原は暫し睨んでいたが、
ややあって視線を逸らすと諦めにも似た溜息を吐いた。
「貴方も実に悪趣味ですね」
「その科白、君にそっくり返そう」
せめてもの意趣返しのつもりで呟いた言葉も、男には通じないらしかった。
むっつりと黙り込んでしまった須原を見て、彼は声を立てて笑った。
「君のような男が居なければ、僕も生甲斐が無い。そういうことさ」
───それに、君が僕を『貴方、』と呼ぶのを、僕は存外、気に入っているんだよ。
敢えて声には出さず。
胸の内で、そう呟きながら影男はトラックを徐々に加速させていった。
END
須原に影男を『貴方』と呼ばせたい。
ただそれだけの為に書きました(笑)
とりあえず『影男』の後の展開として、二人とも脱獄はお決まりでしょう。
この後は二人で京の懐石料理でも食べてればいいと思います(何故)
あ、須原は和服の女装でお願いします(だから何故)
「なんで僕が女装しなきゃならないんですか」
「男女アベックの方が怪しまれないだろう」
「そうだとしても、なんで僕が女役なんですか」
「お前の方が小柄だろう?」
「・・・・・・(怒)」
影男が拗ねた須原の機嫌を取りながら、久しぶりのシャバのデートを楽しんでればいいと思います(ぇ?)
というかこの二人が密談する場所は悉くデートスポットのような気がするんですが。
バー・・・はまあいいとして、はなやしきの観覧車と海上でボートはマズイだろ。
完全にデートだから(笑)
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10.06.30.TOWEL・M