身の丈以上に育った黄色い真夏の花が咲き乱れる檻の中。

 

 彼が来るのを待っている。

 

 

 

『彼岸にて』

 

 

 

 暑い。

 じりじりと照りつける日差しにつと汗が首筋をつたって落ちた。

 シャツの袖は肘のあたりまで捲り上げ、着ていたベストは当の昔にどこかへ捨てた。

 汗を拭って見上げた空には、現し世には有り得ない真っ黒な太陽が張り付き燦々と輝いていた。

 視線を元に戻せばそこに広がるは真夏を象徴する向日葵の群花───

行けども行けども終わらぬそれはやはり現し世のものでは有り得なかった。

 

 そう、ここは彼岸。

 

 遅かれ早かれ、いずれ全ての人々が流れ着く岸辺。

 かく言う私は少し来るのが早過ぎた為、こうして待ちぼうけを食う破目になっている。

 

 嗚呼、待っているなどと言伝てくるのではなかった───

 

 病も何も気にする必要の無くなってしまった今となっては、あの時彼の愛弟子に言った

言葉のらしく無さに如何に自分が弱っていたのか思い知らされる。

 彼岸に流れ着き、彼がいるのでないかという淡い期待は早々に破られた。やはり彼は生きて、あちらに居たのだ。

 少しの勝手な絶望と、生きていながら終ぞ己の前に姿を現さなかった彼へと脆弱だった己の身体への恨めしさ。

 しかし最終的にやって来たのは最後に彼に弱弱しい言伝を残したことへの後悔だった。

 

 嗚呼、暑い。

 癖の強い髪をガシガシと引っ掻き回しても滴る汗は変わらない。

 歩む足を止め、深くひとつ息を零すとその場に座り込んだ。

 こうしてしまうと、四方を囲む向日葵がいよいよ牢獄の装いを呈してくる。

 頭上の空は小さく、しかし高く夏を映している。

 あんな黒い太陽でもやはり憧れるのだろうか。

 生命力そのものであるかのような大輪の花はどれもこれも焦がれるかのように天を仰いでいる。

 その癖私が座り込んだりすると、いつのまにかこちらを見下ろし覗き込んでいるのだ。

 まるで、『ここに不信人者が居るぞ』とでも言うかのように。

 いつもならばその居心地の悪さに立ち上がり歩きたくも無い花の園を

再び掻き分けていくところなのだが、今はもうその気力も無かった。

 

 彼は、私の言伝を聞いただろうか。

 失望されてしまったかもしれないし、呆れられてしまったかもしれない。

 あの名探偵と言われた明智が、宿敵に対し『待っている』など。

 追いかけるのが、お前の役目だろうに。

 

 口角が歪む。視線が落ちる。

 喉が、渇く。

 一度朽ちた身だというのに、今更ながらに喉が渇く。

 見上げた黄色い花々の向こうに、燦然と輝く黒い太陽。

 いっそこのまま。ここで群花のひとつとなっていつまでも黒い太陽に焦がれてしまえればいい。

 

 嗚呼、けれど。

 

 私の黒い太陽は。

 

 物思いに耽っていると不意に近くでガサリと花を掻き分けるような音がした。

 ここで自分以外の人間に会ったことが無かったので自然、驚きに心臓が跳ね上がる。

 何だろう。今頃、彼岸の鬼どもが彷徨う亡者を引っ立てにでも来たのだろうか。

 ガサガサという音はだんだんこちらに近づいてくる。私はよく分からない焦りと恐怖に腰を上げると花々の合間を走り出した。

 

 ガサ ガサ ガサ、

 ガサ ガサ ガサ、

 

 正体の分からない『何か』は確実に私の後を追って来ているようだ。

 炎天には黒い太陽、視界は夏の花に埋まり───私の存在はあまりにも小さかった。

 行く手を花が阻んでうまく前へと進めない。そうしている間にも『何か』は背後から迫ってきている。

 必死になって逃げる私を、真夏の花は嘲笑するかのように無い風にザワザワと揺れた。

 ガサガサガサ、という音がだんだんと近く、大きくなってきているのを感じる。

 何者かは知らないが、捕らわれるつもりはない。

 私はまだここに居なければ為らないのだ。

 

 私は、まだ。

 

 ここで、彼を。

 

 足がもつれて、身体が傾ぐ。

 受身を取る暇も無く、地面に叩きつけられようとしたとき。

 視界に黒服の腕が躍り出た。

 ハッと気がついたときには力強い腕が私の上体をしっかりと支えていた。

 背後から、ふぅ、と安堵したような溜息が漏れた。

 

「大丈夫か?」

 

 掛けられた言葉は久しく耳にする他人の声───いいや、これはただの他人ではない。

 この声の主を、私はよく知っている。

 この声は───

 

「おい、明智?」

 

 上体を支えていた黒い腕にグッと力が込められ、振り向かされた体が空を仰ぐ。

 見開いた目に映し出された天に瞬くのは真っ黒な私の───

 

「・・・・丈吉」

 

 言ってしまってから、慌てて手で口元を覆う。

 生前、彼を実の名で呼んだことは無かったはずだ。

 今際の刻み、声も出なくなった唇で何度もなぞった、その名前。

 

 呼ばれた彼も少し驚いたのか。ほんの僅か目を瞠ってまじまじとこちらを覗き込んでいた。

 視線を交えたまま、どちらも言葉を発せぬままに時折向日葵だけがサラサラと揺れた。

「あー、その、何だ・・・・、」

 先に沈黙を破ったのは丈吉だった。居心地悪そうに視線を彷徨わせ、

モソモソと何か口の中に言い溜めていたがふと此方を真っ直ぐに見つめて言った。

「悪かったな」

 不承不承、と言った感じの口調が彼らしかった。

「・・・生きて、たんだな」

 そんな彼に対し私と言えば、主語も脈絡も無い言葉しか紡げなかった。

 だが彼は私が言わんとしていることを理解してくれていた。

「ああ。だが、本当に死に掛けだったからな。すぐには、行けなかった」

 そして更に戦争が二人の再会を阻んだ。

 病が、私の身体の自由を奪った。

 丈吉がようやく日本の地を踏んだとき───すでに私は此の世にいなかった。

「僕の方こそ、申し訳ない・・・・」

 先に、逝ってしまって。

 本当ならば続けられたかもしれない君との勝負を、私が終わらせてしまった。

 眉を寄せて、目を伏せる。

「お前のせいだけでもない。何もかも間が悪かった。けれど二十面相も明智も終わらなかったじゃないか」

 存外愉しげに響いた彼の声音に、少し視線を上げる。

「二代目どももしっかりやってたぞ。あいつ等の幕引きがどうなるかは分からんが、少なくとも俺たちのように時代に引き裂かれたりはしないさ」

「・・・・あれは少々、人としてどうかと思う処もあるのだけれどね・・・・・・・」

 あれ、と言うのは勿論己の名を襲名した愛弟子のことだ。

 彼の処のとは違い、あれは生きた妄執の塊のように育ってしまった感が否めない。

 何せ、師の葬式で明智の名を継げる嬉しさのあまり笑いを耐えかねているような男なのだから。

「まあ確かに、あれは見ていてちと怖気を覚えるところもあったが」

 そこは二代目二十面相が何とかするだろう、と何とも無責任な応えが返ってきた。

「そうかなぁ、彼は戦災孤児を養女にしてしまうような、優しい青年に育ってしまったからねぇ。誰かさんに似て」

「誰かとは俺のことか」

「君以外誰が居る?」

 揶揄いと恍けの軽い応酬に、昔を思い出して少しだけ笑った。

 丈吉の目がふと優しいものになる。

「そう心配することも無いさ。人である限り、十年前の今日と十年後の今日が同じということは決して有り得ない。

 時間が経てば経っただけ、皆何処かしら変わる。勿論、変わらないものもあるがな」

「君にしては、割と真っ当なことを言うじゃないか。・・・そうだねぇ、十年後のあれに期待しておこうか」

「一言余計だな。大丈夫だ、お前だって変わっただろう。」

「え?」

 降ってきた意外な言葉に思わず声を上げてしまった。

 

「追いかけるのが生業の探偵が、怪盗が彼岸に渡ってくるのを『待ってる』なんて凄い変わりようだな」

 

 きょとんと丈吉の顔を見つめてしまう。

 さりげなく頬に触れる手の甲に遅れて気づいた。

 彼が、向こう岸で私の伝言を聞いたのだと思い至って居た堪れなさに目を逸らした。 

 彼の顔をまともに見ていられない。

 あんなこと、言うのではなかった。

 悔恨の念が再び胸を占める。

 もう、どうしようもないと言うのに。

 

「・・・・・幻滅したかい」

「? するわけないだろう」

 幾分トーンの落ちた声でそう言えば、何を言ってるんだという呆れを含んだ声が降ってきた。

 そしてそれに拍子抜けする暇も無く。

「なっ・・・は?え、おい・・・・」

 突然、何故か彼は私を肩に担ぎ上げた。そのまま、ガサガサと音を立てて歩き出す。

 意味を成さない言葉を発する私に、丈吉が口を開く。

「とりあえず、街を探さなならんだろう。辺りを窺おうにもこの向日葵が大層邪魔だ。明智、何か見えるか?」

「・・・・彼岸に街なんかあるのか?」

「無きゃ困るなぁ。と言うか、彼岸に来るのは俺たちだけじゃあるまいし、

 どっかに彼岸の連中がこさえた街ぐらいあってもおかしかなかろう」

 

 それはまあ、そうかもしれないが。

 あって当然、という口調で話すこの男の根拠は何だろう。

 

 溜息を吐きつつ、男の要望に答えるべく首を巡らす。

「街があったとして、それからどうするつもりなんだ」

「ひとまず、落ち着ける場所を探す。落ち着いたら、続きをする」

「続き?」

 訝しみ、眉間に皺をこさえた私とは対照的に、彼は白い歯を出してカラリと笑って言った。

 

「お前と、俺の。勝負の続きだ」

 

 彼の目尻に出来た笑い皺に目が留まる。嬉しいような悔しいような、そんな心がもどかしくて泣きたくなった。

 いっそ清々しくそう言ってのける彼は、彼自身が夏そのもののようだ。

「・・・向こう岸での最後の勝負は、勝敗が有耶無耶になってしまったからねぇ。

 小林君も居ない、探偵団もいない、君の部下も居ない。こちらで一度、差しで白黒つけるのもいいかもしれないね」

 ニヤリと口角を上げて意地悪げに笑って見せれば、彼も地の笑みを引っ込めて不敵に笑った。

「正真正銘、二人だけの対決か。いいな、それ。ところで明智、周りはどうだ?何にも無いか?」

「うん?ああ・・・どうだ、と言われてもな・・・・」

 そういえば周囲を窺うよう言われていたのを思い出し、今一度視線を辺りへと向ける。

 どれだけ歩いても向日葵の群花から抜け出せなかった場所だ。

 本当に此処以外の場所なんかあるのだろうかと半信半疑でふと顔を横に向けて、目を剥いた。

「・・・・・・・・・・」

「? 明智?どうした?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・線路がある」

「は?」

 そう、線路だった。

 黄色い花畑がそこだけ避けて。ただ真っ直ぐにどこまでも、一本の線路が伸びていた。

 更に線路を目で追っていくと、途中に駅・・・というよりは無人の停車場のようなものがあった。

 こんなものが、初めからあったのだろうか。

「よし、じゃあとりあえずそこに行くか。方向的にはどっちが街なんだろうな」

「まだ街があると決まったわけじゃないだろう。どうして街があることを確定で話すんだ、お前は。

 ・・・線路は一本しかないな。往復か、それとも一方方向にしか走らないのか」

 停車場の方向を指し示すと、私を担いだまま丈吉が歩き出す。

 ガサガサと向日葵を掻き分ける音と、私と彼の声が夏の空気の中に融けていく。

 不意にどこか遠くで汽笛が聞こえたような気がした。

 弾かれたように後ろを振り返り、耳を澄ます。

 丈吉も同じだったようで、ピタリと立ち止まった。

 もう一度、今度ははっきりと甲高い音が聞こえた。

「! 丈吉、汽車だ!!走れ!!」

「ッ!痛ぇ!!胴を蹴るな!俺は馬か!!」

「煩い!乗り遅れたいのか?!」

「分かったから蹴るな!!ああ、糞!相変わらずいけ好かねぇヤツだな!!」

 馬宜しく胴を蹴られた丈吉が、私を担ぎ上げたまま走り出す。

「好かなくて結構だ!」

「さっきまでは可愛かったのに」

「は?!」

 ボソリと呟かれた聞き捨てなら無い科白に、しがみ付いている相手の顔に視線を落とせば、してやったり顔。

 やられた、と思う。

 滅多に上がらない熱が、顔に集中していくのが分かる。

 直後、突然の浮遊感が身体を襲った。

 丈吉が思い切りよく地を蹴り、踏み切ったのだ。

 次に着地した場所は先ほど見た停車場だった。

「間に合ったな」

 満足げに言い放つ彼の肩から下ろされる。

 改めて、辺りに目を向けるとずっと己の視界を阻んでいた黄色い花々が今では眼下に海原のように広がっていた。

 彼を待ち続けたこの場所もこれで見納めだ。

 視線を戻すと、そこには私の好きな黒い太陽がこちらに熱い眼差しを向けていた。

 

 背後から、列車の迫る音がする。

 

 

 

END

 北村Ver.初代20明智で、此岸Verの対で彼岸Ver.
 此岸はなんかあっさりしちゃったからこっちはモリモリ〜とか思ってたら何か迷走した(爆)
 もうちょっと短くまとまるはずだったんだが・・・!まあ最後の明智の20馬蹴りをやらせたかっただけです(殴 打)
 初代明智も足癖悪い説が出てきてしまった(笑)いや、でも初代は二代目ほど悪くないはず・・・!
 明智に丈吉と言わせたけど、原作では二十面相としか言ってなかったよ、な?(確認しろよ)
 もう二十面相じゃなくて本名で呼んじゃえばいいじゃん!とか思って。
 初代明智は・・・イメージ、恋する乙女ですかね(殴 打)
 いやだってお前20のこと好きすぎるだろ・・・・!!何だよ!『先に待ってる』ってよ!!(ゴロゴロゴロ/悶)
 初見では悶えすぎて危うく本、握り潰すところだったよ。(ふゥ・・・)
 なんかもう、死に向かって日に日に弱っていく病床の中でも、『明日もし、20が現れたら』とか思って
 弱りつつもまだ死ねない、まだ死ねない、と縋り付いてればいいよ。
 初代20・丈吉は、『漢』と書いて『おとこ』と読む!なイメージ。
 もう乙女な初代明智をがっつり守ってください(違)
 彼岸では此岸で共有しえなかった時間の穴をこれでもかというほど埋めまくってればいいよ。もうずっと抱きしめ合ってればいいよ。

 

ブラウザバックプリーズ!

 

 09.07.30.TOWEL・M