それはとある真夜中に起こった怪異。

 

 

『真夜中の怪異』

 

 

 その日ホプキンズは遅くまで資料室に残って作業をしていた。

 とくに急ぎの用というわけでもなかったが、定時になっても上がる気になれないときもあるものだ。

 あと少し、あと少しと作業を進めるうちに陽は暮れ果て、気づけば深夜と言ってもいい時間帯になってしまっていた。

 さすがにこれ以上は明日に差し支えるので、必要なファイルだけ抱えて捜査課へと向かうべく資料室を後にする。

 長い廊下を、闇と影だけが支配する。

 そこに木魂するのは、ホプキンズの立てる靴音のみ・・・のはずであった。

「・・・・・?」

 不意に何かが耳に届いた気がして、ホプキンズは後ろを振り返った。

 この時分に、彼を気取らせるものなど何も無いはずであった。

 だが、それは口を開けた闇の向こうから聞こえてきた。

 ザワザワと聞こえてくるそれは何を喋っているのか判別の付き難い人のざわめき。

 しかも一人二人ではない。大勢の人々の声が、ざわめきとなって廊下の向こうから響いてくる。

「・・・? えー、っと」

 今し方、彼が歩いてきた廊下は、資料室の向こうで突き当たりに為っている。

 よって大勢の人がやって来る、などという事象は間違っても起こりえないのだ。

 ましてや、残っている署員ももう居ないであろうこの真夜中に。

 

 そこまで考え付いて、ホプキンズは瞬時に廊下を走り出した。

 何だかよく分からないが、状況的に拙いと判断した上である。

 相手が犯罪者ならば警察の職務として出来うる限りの対応を取るところだが、

どうもこれに関してはそういった対応は通用しないようだと思ったからだ。

 案の定、ざわめきは先ほどよりも大きくなり、背後より大挙して迫ってきている感がある。

 相手との距離がどれ程なのかが気にはなったが振り返ることはしなかった。

 それで何か見てしまっては、もう逃げ切れる気がしなかった。

 暗い廊下は明るいときと違い、無限回廊のようだった。

 ほの暗い闇と、月明かりが作り出す鋭角的な影だけが続いている。

 その影から何かがむっくりと立ち上がったら、と考えるだけでも恐ろしい。

 いま、背後にはその可能性を秘めたモノが迫っているのだから。

 捜査課と言わず、今や出口に向かって疾走していたホプキンズは、視界に突然光が零れるのを見た。

「ホプキンズ、こっちだ」

 人、一人分ほど開けられた扉。暗闇の中、廊下を切り取って漏れた光。

「レストレイドさん!!」

 そこから姿を覗かせたのは、同じ捜査課のレストレイドだった。

 見知った姿にホッとしてそちらに向かって走り寄ると、近くまで来たところで腕を掴まれ、素早く部屋の中へと引き込まれた。

 ホプキンズの身体が滑り込んだと同時に、バタンと音を立ててレストレイドが扉を閉めた。

「レストレイドさん?」

 引き込まれた勢いで床に膝をつく格好になったホプキンズは驚いてレストレイドを見上げるも、

シーッと静かにするよう促され、慌てて手で口を塞いだ。

 ・・・ざわめきが、近づいてくる。

 ざわめきは大きくなり、この部屋の前まで来たようだった。

 そこまではっきり聞こえているのに、やはりざわめきはざわめきで、何を喋っているのか、皆目見当がつかなかった。

 二人の居る部屋の前まで来てもざわめきは立ち止まることなく、大挙して通過していった。

 レストレイドは暫く無言で扉に耳を当てていたが、やがてふうと息を吐いた。

「・・・・・・・行ってしまったようだな」

「レストレイドさん〜〜〜ッ」

 怖かったですー!とひしとしがみ付いてくるホプキンズを宥めながら、レストレイドが口を開く。

「しかしホプキンズ、今まで残っていたのか?」

 もう日付変わってるぞ?

 呆れたように言うレストレイドを未だしがみ付いたままホプキンズが顔を上げる。

「ううう、資料整理してたんです」

 涙目になっているホプキンズの頭をよしよしとレストレイドが撫でる。

「変事も去ったことだし、さっさと帰るぞ。・・・途中まで送ってやる」

 ノブに手をかけ、帰宅を促すレストレイドにホプキンズは二つ返事で頷いた。

 

「そういえば、レストレイドさんはこんな時間まで何してたんですか?」

 二人で捜査課へと戻り、帰り支度を済ませてヤードの入り口へと向かう途中、

ようやく落ち着きを取り戻したホプキンズが首を傾げてレストレイドに尋ねた。

「ああ、俺も残業してたんだが、喫煙室で一息と思ったらうっかり眠り込んだらしい」

 それで、こんな時間になって、廊下を走る足音に目を覚まして喫煙室の扉を開けて

様子を窺ったらお前だったと言うレストレイドにそうだったんですかとホプキンズは納得して頷いて見せた。

 ヤードの玄関口が見えてくると、ホプキンズはさらに安堵して息を零した。

「あ、ホプキンズ。あれ、ブラッドじゃないか?」

 レストレイドが、何かに気づいたように前方を指差す。

 その指先の向こうを辿れば、ヤードの門扉の支柱の影から、確かに見知った赤茶の男が現れた。

「ブラッド!!」

 嬉々として走り出すホプキンズ。

 後ろを振り返ることなどしなかった。だから彼は気づかなかった。

 駆け出す彼の背を見送りながら、レストレイドがまるで遠ざかるように再び建物内に姿を消したことに。

 

「ホプキンズ!!今まで仕事してたの?!!」

 走ってきた同僚を、仰天したようにブラッドが抱きとめる。

「うん!というか、ブラッドはこんな夜中にどうしたの?忘れ物??」

 駆け出した勢いそのままブラッドに抱きついたホプキンズがきょとんとしてブラッドを見つめる。

 その彼の額をブラッドが指で弾く。

「ちっがーう!いつもなら隣のアパートから遊びに来る時間に来なかったから、

 変だなーと思ってホプの部屋に行ってみたけど居ないし、全然帰って来ないし。

 心配になったから夜の散歩がてら来てみたのーっ」

 案の定、まさかホントにこんな時間までいるとは思わなかったけど。

 呆れ顔で述べるブラッドに罰が悪そうにホプキンズが笑う。

「しっかしまあ、よくこんな時間まで。オバケに会ったりしなかった?」

 ブラッドは冗談で言ったのだろうが、しかしホプキンズはその発言に食いついた。

「会った!!オバケ!!追いかけられた!!!」

「はぁ?!!」

 素っ頓狂な声を上げたブラッドに対し、ホプキンズはつい今し方体験した恐怖を喋って聞かせた。

「・・・・・・でね、レストレイドさんが助けてくれたんだよ」

「レスさんが?」

 話を聞き終えたブラッドが、怪訝そうに眉を寄せた。

「うん、そう!・・・・って、あれ?レストレイドさんは?」

 そこでようやく、ホプキンズはレストレイドの姿が無いことに気がついた。

 辺りをきょろきょろと見回すが、レストレイドの姿は無い。

「先に帰っちゃったのかなぁ?」

 明日、もう一度ちゃんとお礼言わなきゃ。

 一人ごちるホプキンズに、ブラッドはますます顔を顰める。

「なぁ・・・それ、ホントにレスさんだったの?」

「え?」

 なんで?と首を傾げるホプキンズ。

 どうやら本気で気づいていないらしい、とブラッドは内心溜息を吐く。

 

「ホプキンズ。レスさん、今日休みだったでしょ」

 

 グレさんと一緒に。

 そう付け加えて告げられた事実に、一瞬ホプキンズは大きく目を瞠り───

次の瞬間には凄い勢いでブラッドの首に縋り付いていた。

 どうやら、ダブルで遭っちゃったみたいねぇ。

 ひーん、と小さく泣き声を上げるホプキンズの頭をよしよしと撫でて宥めるブラッドは今夜は二人寝決定、

可能ならば明日は揃って欠勤だなと考えながら顔を上げて、ふと。

 見上げたスコットランドヤード。巨大な影のように聳え立つ建物の一角、明かりの点いている部屋があることに気づく。

 

 誰かの消し忘れ?いやいやまさか。

 だって自分はさっきヤードの建物を塀沿いに見上げながら歩いてきたのだ。

 そのときは、明かりの灯っている部屋なんか無かった。

 

 ブラッドがそこから目を放せずに釘付けになっていると、その部屋の窓辺に黒い人影が現れた。

 シルエットでどのような人物かは分からなかったが、窓辺に近づき立った後、

少し首を垂れたことでこちらを見下ろしたのだと確信した。

 影はその状態で暫し静止していたが、やがて部屋の明かりが点いたり消えたりし始め──

三、四回ほど明滅を繰り返した後、その部屋は完全に暗転した。

 

 だが部屋の明かりが完全に消える瞬間。

 ブラッドは、はっきりと見てしまった。

 

 窓辺に佇む影が、こちらに向かってゆっくりと手を振っていたのを。

 

 

 

END

 あんまり暑いんで、暑気払いに怪談でもと思って打ってみた(笑)
 珍しくヤードの若人がメイン。
 場所が喫煙室だし、レスさんの姿だし、助けてくれたし。
 たぶん、ヤードの幽霊美人(笑)が助けてくれたんだと思いますが。
 怪談っぽくする為にあえて最後まで幽霊よりで書いてみました。
 たまには怖く!みたいな(笑)
 あ、ホプキンズの後ろを追っかけてきたザワザワ大衆は
 名無しさんの頂き物『暑気払い・ヤード百物語』から取ってきました。
 こちらの話では資料室の突き当たりに向かって行って消えちゃったんで、
 この話ではそれらが帰って来ちゃいましたみたいな。(爆)

 この話を書いて発覚:
 ブラッドとホプキンズはアパートが隣同士らしい。
 ホプは忙しくない時や定時帰宅後なんかは夕飯後にブラッドの部屋に遊びに行くのが日課。
 とくにグレレスみたいにイチャコラしているわけではなく(オイ)、
 一緒に本を読んだりボードゲームを楽しんだりと、まだ割とほのぼのな関係。
 でも、部屋に帰るのが面倒になると一緒の布団で寝たりします。
 これで何で一線を越えてないのかと、グレさんは首を傾げてるといい。(笑)

 

ブラウザバックプリーズ!

 

09.06.25.TOWEL・M