僕が楽園から追放されたあの日。

 きみはオーバニーの地獄はいつでも大歓迎だと言った。

 だからきみは

 そこで僕を待ってくれているのかもしれない。

 

 

 

 冷たい僕の左手が温かいのは。

 

 

 

 自分ひとり戦争から戻り、ラッフルズと僕の最後の話集を書いてからは何も無い日々を送っていた。

 平穏ではあるが、充足もない。

 無味無臭と切なさだけが過ぎ去る、哀しい日々だった。

 

 ラッフルズと居た頃は度々金に困る僕だったが、ラッフルズとの話を書いてからはその心配は無かった。

 恐れ多くも僕の書いたラッフルズと僕のたった三巻の冒険譚は英国を代表する探偵の事件譚と同じくらいの人気を得たのだ。

 そのおかげで僕は生活の金にだけは困ることは無かった。

 もっとも、その金を贅沢に使う、ということもなかったが。

 ラッフルズと僕の話が売れれば売れただけ、僕は何故いまここにラッフルズが居ないんだという思いに駆られていった。

 

 そしてとうとう、ここ数年は体を壊していた。

 起き上がるのも億劫になってきて、ベッドで伏せっている時間が多くなった。

 朝日も真昼の空も夕空も、窓枠の内側で迎えるようになっていった。

 それでも、毎日日記だけは欠かさずつけている。

 日記と言うか、懺悔と言うか、憧憬と言うか。

 僕のことを知っている者なら、きっと誰もが哀れみの目で見るに違いない言葉を、もうずっと毎日書き綴っている。

 

 『ラッフルズからは何の消息もない。』

 

 まだ体を壊す前は、普通に日記を綴った後に文章の終いにこの言葉を綴っていたが、

 体を壊してしまってからは日記に特筆すべきこともなく、この一行のみで占められることが常になっている。

 だが、この言葉が変化することはこれから先無いだろう。

 彼が生きていようと死んでいようと、僕に消息を伝えてくる必要性はもう無いからだ。

 僕たちは確かによき友人であったが、それは裏を返せば道を踏み外すべく繋がった友人同士であった。

 実際地中海の底から彼が劇的復活を遂げたときも、僕らの再会は、ゲームの再開を意味していた。

 『老い先』を言うには僕も彼も早いが、もう、ゲームに興じることは無いだろう。

 僕らは十二分にそれを楽しんだ。

 そして、それぞれにそのゲームを楽しむだけの代償も支払った。

 

 まるで彼が生きているかのような考え方だと、つい口元に皮肉な微笑が浮かぶ。

 彼はまたしても僕を置いて行方不明になったのだ。

 南アの草原で。

 足を撃ち抜かれ、負傷した僕を手当てしてくれたことも、

 その後一緒にその草原に転がって彼の好きなサリバン煙草を吹かしたことも。

 そうしておそらく彼の行方が知れなくなるまで、最後に彼と話をしていたのは自分なのだ。

 彼の話す言葉を聞きながら、僕は意識を飛ばしていった。

 次に目が覚めた時には医療用のテントの中に居た。

 その時点で、もうラッフルズの行方は知れなくなっていた。

 

 戦死、ではなくて行方不明というところが、ラッフルズらしくてずるいと思う。

 

 物語の終わりには打って付けだ。

 死んだ、ならばそれでもう後は続かないが、行方不明であれば、読者はその後を想像力をもって思い描く。

 実際、僕に寄せられる読者の感想でも、そんな夢見るようなその後を思い描いたものが送られてくることがある。

 でも現実、行方不明という事実が僕に与えるのは絶望と言いようの無い喪失と虚無感だけだ。

 

 何の消息も無い。

 はっきりと死んだのかも分からない。

 

 いっそ僕の目の前で死んでくれたらよかったんだ。

 

 そうしたら、僕も諦めがついたのに。

 行方不明という曖昧さは、僕にいつまでも付き纏って彼を生者とも死者ともつかないところで漂わせている。

 

 あまつさえ最近では彼はかつて彼が住んでいたアパート、オーバニーにいるのではないかと思うようにまでなっていた。

『つまり君は楽園から追放されたんだ!』

 僕が淡い想いに引き裂かれたとき、彼はそう言った。

 そしてこうも言った。

『楽園が君を歓迎しないのなら、オーバニーの地獄はいつでも大歓迎さ、バニー』

 そう言って彼は悲しく笑った。

 

 だから、だからだから。

 だから彼は、オーバニーの地獄で、僕を歓迎すべく待っているのではないだろうかと。

 

 ふぅ、と疲れた息を吐いた。

 悲しくて涙が出そうだ。少し休もう。

 力なく目を閉じる。

 実際、もう体に力は入らなくて、それを感じることがかえって煩わしくさえ思えた・・・

 

 

 目を開けると、そこはアパート・オーバニーの入り口。

 ラッフルズの部屋へと行くべく、何度も通った見慣れた通り。

 急かされるように階段を上っていけば、そこにはまた見慣れた扉。

 ノブを回すことなく、触れるだけでふわりと融けてなくなる扉。

 そのむこう、眼前に拡がるのは本当に見慣れつくした彼の部屋。

 おおよそスポーツマンの部屋とは言いがたい、

 小さな絵画がいくつも飾られた部屋はまるで詩人か芸術家のそれのよう。

 そしてその部屋の中央、当然のように佇んでいるのは。

 

 ラッフルズ。

 

 やっぱりここにいたんだね。

 

 ラッフルズがこちらを振り返り、笑う。

 何も変わってはいない。

 むしろ以前よりずっと若々しく、髪も黒い。地中海に沈む前のラッフルズだ。

 そんなところに突っ立ってないではやく部屋に入っておいでよとでも言うように、

 ラッフルズがこちらにむかって手を差し伸べる。

 僕は嬉しくなり、喜び勇んで手を伸ばそうとした、その瞬間。

 

「違う!!」

 

 引き裂くような叫び声と共に、背後から、伸ばした方とは反対の手を掴まれた。

 

「それは僕じゃない。僕はこっちだ。バニー!」

 

 割れ鐘のように響いたそれにビクリと体をすくませる。

 途端、目の前の光景がぐにゃりと歪む。

 部屋も、家具も、微笑んで立っていたラッフルズの姿も、皆かすんで遠のいてゆく。

 

 

 ふと気づけば目に映るのは瞼の裏側。

 がっかりして肩を落とそうとしたとき、ふと自分の左手が温かいことに気づく。

 それが何故だろうと考えるまえに、僕の左手にきゅっと力が加えられる。

 

 ああそうか───温かいのは、誰かが握ってくれているからだ。

 

 理解したと同時に拡がる困惑と期待。

 そうではない、そうであるはずがないと否定する一方、もしかしたらという思いが湧き上がる。

 ゆっくりと瞼を上げた先に広がるのは、オーバニーの幻か、それとも───

 

 バニー。

 

 頑なに閉じ続ける瞼の裏の向こうで、懐かしい声が呼んでいる。

 

 「バニー。」

 

 もう一度名を呼ばれる。今度ははっきり聞こえた。瞼が震える。

 

 

 ああ

 

 冷たい僕の左手が

 冷たい僕の左手が温かいのは。

 

 

 

 END
 ラフバニ、ラッフルズが戦争で行方不明、バニーだけがひとり戻り『最後に二人で泥棒を』を書き上げた後ということで。
 バニーが天に召されかけましたが(笑)
 これのラッフルズサイドも後日書きたいな。何せバニーサイドは説明を多く取りすぎだ;
 ラフバニ、知ってる人自体少ないと思うとついつい説明してしまう・・・
 もっといろんな出版社からいろんな人が訳せばいいのに。(キィッ!)
 これはラッフルズと無事再会のハッピーエンドバージョン。
 戻ってきたラッフルズとすれ違いざまに死んで再会できないバッドエンドバージョンも考えてます。
 ラフバニはいいですよぉ!原作の終わり方が終わり方なので、バッドもハッピーも妄想できる素晴らしさ!
 バッドエンドなら、ラッフルズを壊せるしね。(ニヤリ)

 ブラウザバックプリーズ!

 06.09.21.SUISEN