彼は、今夜来ると言った。

現在獄中の独房に拘留中の彼が、である。

しかし彼は獄中にいながらあっさりと己が欲するものを手に入れてみせた。

ましてそれは獄中にいなければできなかっただろうとまで言ってみせた。

 

『今夜、貴方のお宅へ葉巻を吹かしに』

 

普通の犯罪者の発言であればそれは冗談にすぎない。が、『彼』が言うのならそれは真となる。

 

 

 

『獄中からの訪問者』

 

 

 

コンコン。

控えめなノック。

そうら来た。

 

「・・・開いている」

「聞いているのは『開いているか』ではなく『お邪魔してもよろしいか』ですよガニマールさん」

 

背後から聞こえてきた声に驚いて目を見開いた。

一体いつの間にそこにいたのか。自分が座る一人掛けの椅子の背もたれに手を置き、ルパンが上から覗き込んでいた。

あのよく見知った、子どものような無邪気な笑みを口元とその瞳に宿らせて。

私の反応がよほどおもしろかったのだろう。

肩を震わせて、溢れる笑いを抑えている。

少し腹が立ったが、この男を相手に何を言っても仕様が無いことは解っていた。

 

「掛けたまえ」

自分の前に用意してあった一人掛けに座るように勧める。

彼は私の目の前で嬉しそうに深く椅子に腰掛け、うっとりと目を閉じた。

その様子には警戒心というものが微塵も感じられない。

目の前に、自分をしつこく追っていた男がいるというのに。

自信があるのか、さして気にも留めていないのか。

「・・・心地よさげだな」

思わず苦笑まじりに呟くと、彼は目を開けてその瑞々しい瞳を細めた。

「ええ、とても。獄中のものは体に痛いものばかりで・・・」

 

こんな風に、心地よく座れる椅子だってありゃしないんですから。

 

そう言って彼は、ほんの少し首をひねって柔らかい背もたれに頬ずりした。

「君なら獄中に持ち込むこともできるんじゃないのかね」

からかい気味に言えば彼はゆっくり首を振り、

「持ち込めないことはありませんが、置き場所がない。

 まったく本当に留置所というのは難儀なところです。

 一人掛けの椅子を置いとくスペースすらない!改善の余地ありですよ、全く」

溜め息と共に再び目を閉じて背もたれに寄りかかる。

心なしか──それも演出かもしれないが──彼は少し疲れているように見えた。

 

そんな彼を置いて立ち上がるとテーブルの上の箱を開け、葉巻を一本取り出すとマッチを擦って火をつけた。

「そうら、コイツを吹かしに来たんだろ?」

火のついた葉巻を差し出す。

ぼんやりとまどろんでいた彼は薄く目を開けると嬉しそうに手を伸ばして受け取った。

深く吸い込んで、ゆっくりと煙を燻らす。

「美味しい・・・・ヘンリー・クレイじゃないのが残念ですが」

「贅沢なヤツだ」

クククッと喉で笑ってあしらえば、彼もふふふと笑い、そうですね、と返した。

ほんのりと頬を染めて煙草を味わうその様はまるで貰ったお菓子をじっくり味わう子どものようだった。

 

お菓子。

そこではたと思いついて、再び立ち上がる。

「ガニマールさん?」

訝しんだルパンが顔を上げて声をかけるがそれには答えず、隣の部屋へと姿を消す。

そうしてすぐに戻ってきた私の手の中にあるものを見て、彼は目を瞠る。

「すこし、湿気てしまったが」

深い茶とも黒ともつかぬ色をした四角い物体。

「・・・・ショコラ・ケーキ?」

家政婦のカトリーヌが茶のつまみにと作っておいてあったのを思い出したのだ。

だが。

 

「正直、私はこういったもたれる様な食べ物が苦手でね。君はどうだい」

聞くまでも無いか、と胸の内で呟いたのは秘密だ。

彼と来たら、まるで目の前に新鮮な魚肉を置かれた猫のように輝かせた目を

そのいささか湿気てしまったショコラ・ケーキにじっと注いでいたのだから。

そこで彼ははっとしてふいっと顔を逸らしてしまった。

「苦手ではないですけど・・・でも、僕は煙草を吹かしに来たんですから」

本当はすぐにでも飛びつきたいのだろうに、こんなときだけ意地を張る彼の姿はなんとも幼くて、可笑しかった。

彼が無邪気に振舞うのはすでに一般世間の知れるところだが、いまのこの姿が知れたらどうなることやら。

 

込み上げる笑いを耐え切れず、肩を大きく揺らしてふっふっふ、と笑ってしまった。

すると何ですか?という言葉とともに、じろりとしかし何ともバツの悪そうな視線を向けてきたので私はとうとう大笑してしまった。

「何なんですか!」

失礼極まりない、とでも言うように抗議の言葉を浴びせるとともに完全にそっぽを向けてしまう。

ややあって、すまないと手を振った。

「いいから、お食べ。どうせ食べられずに余ってしまうものなのだから」

そう言ってやると、ようやく彼はそろそろと手を伸ばして少し湿気たショコラ・ケーキを口にした。

 

 

「さて───残念ですがそろそろお暇させていただきますよ」

 

温かい部屋と一人掛けの椅子に名残惜しそうにしながらも、それらを振り払うようにすっくとルパンが立ち上がる。

「そろそろ戻らないと、もう脱獄したかと勘違いされそうですからね」

 

それはおもしろくない。もっと素晴らしい演出を考えているのに。

クックと喉を鳴らして笑うその様は、もうよく見知った、元の怪盗の姿だった。

 

「次に会うときは裁判所の法廷でだな」

ドアノブに手をかけ、出て行こうとするルパンにそう投げかけると。

「いいえ」

口の端がキュッと吊り上る。瑞々しい紅い唇は獄中に在中している者のそれとは思えないくらいに艶やかだった。

「いいえ、ガニマールさん。次にお会いする時には法廷でも獄中でもありませんよ」

何故なら。

自信たっぷりに笑った唇と愉悦する瞳が。

 

「僕は裁判には出ない」

 

完全なる脱獄の成功とそれがもたらす名声への序曲を

 

高らかに、告げた。

 

 

END

* * *

ブログSSからサルベージしてきました^^
キャラ紹介にガニマールが出ましたからね。その記念というか、彼を見られる作品をひとつと思って。
原作だとこの辺端折られてるので、いろいろ想像が尽きないです♪
これと同じ状況で、また別の話を打つか何かしたいです^^
この二人の関係が大好きだv

* * *

ブラウザバックプリーズ!

ブログ掲載.2004.11.29/編集・訂正.2005.12.17.SUISEN