夢の中で、私は屋根伝いに夜の街を疾走していた。

 眼下に私を追ってくる複数の影がある。見なくとも公共の機関であることが私には判る。

 その影から罵声を浴びせているのはきっと中村くんだろう。

 

 鬼さんこちら

 手の鳴るほうへ

 

 走っているうちに、そんな言葉が思い浮かんだ。

 捕らえられるべき鬼は自分であるはずなのに、それに相応しい、そんな状況。

 なんだか愉快な気分になって、知らず顔に笑みが浮かんだ。

 そしてそれはだんだんはっきりしてきて、私は声に出して笑った。

 

 夢の中で、私は幸せだった。

 

 

 

『月が昇り、弧を描き、暮れるまで。』

 

 

 

「おい、いい加減起きろ!」

「う、」

 ゴッ、という衝撃とともに靄のような闇から明確な闇へと引き戻される。

 脳に受けた衝撃が過ぎ去るのを待って、状況を確認する。

 ここは然る組織の地下室。

 少々の深手を負わされた自分はここに放り込まれた。

 さて如何と思案を巡らせていたところに今度は宿敵とも言うべき明智が放り込まれてきた。

 身体を冷やした彼にマントと寝床(膝枕)を交換条件に小一時間の小休止。

 現在に至る。

「いたたた・・・いきなり酷いですね・・・」

「小一時間経ったからな」

 連れない言葉と共にフン、と明智は鼻を鳴らした。

 自分は明智の膝を借りて横になっていたのだが、その膝を明智が退けた為、冷たく硬い床に頭を打つこととなったようである。

 確かに小一時間経ったら動くとは言ってはいたが・・・

「もう少し穏やかに起こしてくださってもいいでしょうに」

 やれやれと床に手をつき身体を起こす。同時に己の怪我の具合を確認する。

 とくに酷くもなっていないが良くもなっていない。眠っただけ先刻よりは良いような気もするが所詮は気分だろう。

 だが小一時間経っても状況は変わらない。光も差し込まぬ暗闇の中でただ刻々と時間だけが過ぎ去っただけ。

 ならばもう動かねばならないだろう。

 怪我を負いつつも退屈と思い始めたら最後だということは経験上もう知っている。

 それは彼も同じだったらしい。闇の中で、彼もまた身体を慣らし始めた。

 互いに言葉は無かったが、漂う空気はスタートラインに立つ選手さながらであった。

 

「行くか」

「行きましょうか」

 

 スタートサインは、ほぼ同時に放たれた。

 

 

「なんと言うか、まあ予測はしてましたけど」

 わらわらとよく出てきますねぇ。巣穴から出てくる鼠のようだ。

 辟易したような溜息と共に、向かって来たならず者の拳をかわしながら私は呟いた。

 くるりと身を反転させて遠心力のかかった裏拳で相手を吹き飛ばす。

「手負いの獣と一介の私立探偵相手にこの有様では大したことも無いな」

 背後からした声に視線を向ければこちらも明智が敵方の腕を捻り上げて立っていた。

 ゴキリと嫌な音がして、哀れな男が白目に口から粟を吹いて倒れた。

「全くです。たかだか二人の優男相手に・・・って、獣は無いでしょう。獣は」

「十分だ」

 憎まれ口を叩いている間にも無駄のない動きで二人は向かってくるギャラリーを蹴散らしていく。

 スタートダッシュこそ文字通り駆け抜けていったものの、相手方の力量が知れればどうと言うことも無い。

 飛び道具と光物にさえ注意すれば、あとは悠然と闊歩するのみだった。

 善と、悪と。

 二人の異なる王が歩んだ後にはビロードの敷布の代わりに倒れたならず者たちが敷き詰められた。

 

 正直、私は安堵していた。

 動いていれば怪我の痛みも紛れ忘れられるのもそうだったが、やはりその動きに影響が出ないわけではなかったからだ。

 いつものように動いているつもりだが、やはり鈍っているな。

 完全に避けきれるはずの相手の手投が我が身を掠めていくのがその証拠だった。

 相手にさせたいままに攻撃をさせ、避けるだけという受身の状態でそれを判別し、

 さてそろそろというところで不意に横から出てきた拳が目の前の相手を吹き飛ばした。

「おや、すみません」

 お手間を取らせまして。

 拳の来た方向に顔を向ければ、そこには明智がいた。

「別に。僕の方はもう手が空いてしまっていたからな」

 面白くも無さそうな一瞥をくれて、明智は背を向けた。気づけば辺りは静かになっていた。

 その背後にゆっくりと私が続く。長く暗い廊下の果て。光が見えた。

「月は暮れ、陽が昇ったようですね」

 彼の背中越しに出口を認めると私はぽつりと呟いた。

 世界はもう光に溢れようとしている。私の時間は終わったのだ。

 白昼堂々仕事をすることも多いが、それでもやはり白昼は私の世界ではない。

 陽の光が溢れる世界は、目の前に居る彼にこそ相応しい。

 それでも一夜彼と共に対することなく過ごせたこの二度とないであろう幸運に私は感謝した。

「おい、さっき」

「はい?」

 こちらに背を向けたまま、明智が唐突に口を開いた。

「さっき、眠っている間。おまえ一体どんな夢を見てたんだ?」

「・・・え?」

「随分締まりのない顔をしてたんでな」

 意外な言葉に、一瞬きょとんとしてしまった。

 締まりのない顔・・・もしかしなくとも笑ってたか、自分。

 うわ恥ずかしい。思わず口元を押さえる。

 いつのまにか二人の足が出口へと辿り着く。

 降り注ぐ光はちょうど始まりの朝のそれだった。

「別に・・・いつもの、夢ですよ」

 眩しさに目を細めながら、明智の横に立つ。

「夜の街、私・・・僕は屋根の上を疾走していて・・・下の方では中村警部が罵声をあげながら追ってくる。

 僕は楽しくて嬉しくて彼らを揶揄してまた逃げる。いつもの夜。いつもの出来事・・・いつもの・・・幸せな時間」

「幸せ?」

 横から発せられた明智の怪訝そうな声に、くすりと笑って視線を向ける。

「貴方は今回夢に出てきませんでしたけど。いつもだったら貴方はそんな僕を先で待ち構えていてくれる。

 どこかに敏捷な小林君も隠れて居たりなんかして。貴方や中村警部には悪いですけれど、いつものそんな時間が僕にとっては・・・」

 

 今まで過ごしてきたどの時間よりも、何よりも幸せ。

 

 そう言うと明智に向かってニコッと笑った。

 何を戯けた事をと切って捨てられるとばかり思っていたが、こちらをじっと見ていた明智はふいに視線を逸らすと思ってもみない言葉をくれた。

「まあお前と対峙している時間は、確かに有意義ではあるがな」

 お前相手ならば僕の機知も存分に発揮できるしな。

 つまらなそうに呟いているのに、嬉しいことを言ってくれる。

 嗚呼、やはり自分はいま幸福だと私は思う。

 今までのどの時間よりも、犯罪者、二十面相として生きてる今が。

「だが、当分はお前の顔は見たくない」

 と、突然明智が不機嫌も露わに喋りだした。

「そんなに私に膝枕したのが気に食わなかったです?」

 またそんないきなりと眉を寄せて明智を見る。

「それもあるが」

 憮然と明智が言葉を繋ぐ。

 

「少なくともその血生臭さが消えるまでは僕の前に顔を出すな」

 

 臭いが鼻に来て不愉快だ。

 言い捨ててそっぽを向く明智に一瞬目を瞠るがその意味をすぐに図り取ると私は口元に微笑を浮かべた。

 

「承知いたしました。次にお逢いする折には不愉快な思いなどさせぬよう善処させて頂きます」

 

 ではご挨拶もそこそこに失礼ですが、私はこれにて。

 

 さっさと行け。そう言う明智の背に向かって深くお辞儀をすると私は足早にその場を後にした。

 自分たち以外の人の気配を感じ始めていたからだ。

 おそらくは明智側の人間だろう。

 少し行くと、私の方にも迎えが来ていた。

「ご無事でしたか」

「ああ。だが少々休養が必要だ」

「お怪我を?」

「然も無いがな」

「兼ねてから進められておられる計画は如何なさいますか」

 車に乗り込み、横たわる。思いのほか身体が緊張していたことに気づいた。

「お前たちで出来ることはしておけ。だが基本的には先延ばしだ」

 主のこの発言に、迎えは驚いたようだった。

「お珍しいですね。いつもならば無理をしてでもなされるのに」

「怪我が治るまでは顔を出すなと探偵殿直々のお達しだ」

「え?」

 

 思わず振り返った迎えに、声を立てて笑いながら私は窓の外に映った空にうっすらと残る真っ白な月を見つけていた。

 

 

 

END

すぐりさんに「続きはー?」と言われてた『太陽も、まして〜』の続き。
続けるつもりもなく書いたものだったんで、書く気はなかったんですがなんとなく思いついたんで打てるうちに打ちました(笑)
終わりが締まらなかったけど!(爆)
いいの、始まりから中盤あたりがいちばん書きたかっただけだから!(終わりは?)
20にとっちゃ怪盗やってる今が一番幸せだろうなぁと思ったんだ。
明智もいるし、みんなで遊んでくれるしね(笑)
月は暮れずとも、陽が昇ることもある。

ブラウザバックプリーズ!

 

08.09.07.TOWEL・M