よいしょ。
ふぅ、と一息つくとそっと手を放す。
カタリと静かな音を立てて現れたのは平面に描かれた緑の園。
『緑の園』
壁にかかった絵を眺めて、よしと満足げに頷く。
画家の名前は知らない。
ただ絵の隅っこに『B・H』と記してある。
絵は古道具屋で見つけて買った。
とくに有名な画家の品というわけでもなく、少々薄汚れていたものだから安く手に入った。
私は名画に拘るよりも自分が好ましいと思うことを重視しているので自然と邸には名も無き画家の作品が数多い。
この度買ってきた絵は鮮やかな緑と光の空に満ちている。
たぶん、どこかの庭の絵なのだろう。花々の茂みの向こうに、丸屋根に真っ白な支柱の付いた建物が描かれている。
手前にはその憩いの場に通じているであろう砂利の小道と、キャンバスの置かれたイーゼルの前にこちらに背を向けて画家が座っている。
その目の前には誰も座っていない真っ白なベンチ。
なんだか淋しい絵だな。
庭自体は緑が活き活きと枝を伸ばし葉をつけ花を咲かせているというのに、描かれている人は一人ぽつんと誰も居ない庭で絵を描いている。
その目の前に置かれたベンチがいけないのかもしれない。
誰も座っていない、ともすればモデルとなる誰かが来るのを待っているようにも見える空白のベンチ。
その白さが存在感を強調し、意味ありげに見えた。
けれどもそこでふと自分もこの絵と同じかもしれないと思った。
つと己の背後を振り返る。そこにあるのは空白の長椅子。
気まぐれに『彼』がやって来ては寝そべっていく、ある意味彼の指定席だ。
そして彼の訪れをひっそりとどこかで心待ちにしている『わたし』。
そんな『わたし』はこの絵に描かれた画家そっくりだ。
もしかしたらこの画家も誰かが来るのを待っていて、気を紛らわせるために絵に向かっているのかもしれない。
私が原稿にときにはそのように向かっているように。
ふぅ。
先ほどとは違って物憂げに溜息を吐くといつのまにか俯きかけていた顔を上げて絵に振り返った。
絵には相変わらず絵を描き続ける画家の姿。
その表情は窺い知ることが出来ない。
だからその後姿はどのようにも取ることができる。
一心不乱に目の前の被写体に筆を走らせているようにも
淋しい背中に影を落として、孤独に筆を走らせているようにも
あるいは何の感慨も無く、天気のよい昼下がりの空気を体一杯に受けているようにも。
悲観的に見えたのは、自分の心が後ろ向きになっているからかもしれない。
最近彼の名を新聞でも聞かないし、近頃とんと音沙汰が無いから。
いけないいけない。
仕事仕事、と思いくるりと振り返った瞬間にぼすっと何かにぶつかった。
「?」
身を引こうとして引けないことから、己が捕らわれていることに気づく。
自分の体を囲っている腕。
目を瞬かせて顔を上げれば、そこには自信に満ち溢れた瑞々しい顔があった。
知らないけれど、よく知っている顔。
「ひさしぶり」
私が何かを言う前に、暫く待ち望んだその人は改めて強く私の身体を抱きしめた。
そのとき背後の壁に掛かっていた絵の中の画家がこちらを振り返り笑うとも泣くともつかない顔をしていたことなど。
突然訪れた喜びを理解し始めた私が気づくはずも無い。
絵の中の緑の園に、光が溢れている。
END
バジルの棲む絵はルブランの下に。
ドリアンの棲む絵はルパンの下に。
二人の距離を、偶然が埋めていく。
ブラウザバックプリーズ!
08.01.11.TOWEL・M