日々壊される心地よい沈黙。
それに耐えかねて
彼に黙って姿を消した。
『エスケープ』
黙って家を引き払った。
連絡もしていない。というかそもそも彼に連絡をつけるのは難しい。
もぬけのカラの家を、部屋を見て、彼はどう思うだろう。
怒るだろうな
せめてものと彼の気に入りの長椅子はそのままにしてきた。書斎机も。
しかしそれがかえって彼の怒りを煽るかもしれないと今更ながらに気づく。
引き返してすべて処分してしまおうか。いやいや、万が一彼に会いでもしたらどうする。
───さぞかし怒っているだろうな
彼が私の部屋を訪れるのは不定期だというのに、なぜかもう彼が事を知ってそしてとても怒っているように感じられた。
腕を頭の後ろで組んでベッドに横たわっていた私は明かりも点けていない部屋を見回す。
ベッドと棚。ランプ。床に少しばかり積み上げられた書物。
それ以外は何も無い、簡素な部屋。
長椅子も持って来ればよかった。
そしたら彼はきっとここへ飛んできたろう。
これでなくてはと、寝心地を確かめながら。
ごろりと寝返りを打ち、壁の方を向いた。
明日にはもっと遠くへ行こう
滅多に誰もやって来ないようなところへ
やがてその目は静かに閉じられた。
友人がいなくなった。
ひさしぶりに訪れたこじんまりとした家はもぬけのカラだった。
本棚はカラッポ。机も気に入っていた長椅子もそのままだがやはりそれらもカラッポ。
もともと生活感のない部屋が、主がいなくなったことでよりいっそう。
ちがう。
こんな沈黙はちがう。
家も部屋も存在している。歩けば軋む。音を出す。
だけど違う。この沈黙は死んでいる。
死んで───
自分で思ったくせに、そこで振り払うようにぶるっと身を震わせた。
───怒るよ?モーリス。
憤然と、机の上の窓を開け放つ。机に飛び乗る。
行儀が悪いと諌める声も眼差しも今は無い。
何処行った。あの沈黙バカ。
ふと気づけば窓だけが開け放たれたまま残されている。
落ち着いた溜め息を漏らしながら窓を閉める。
当たり前だった光景すら映し出すことをこの部屋は辞めてしまった。
痛い痛い現実が、そこにあった。
ほんのすこし崩れかかった、そんなに大きくない木造建築の邸宅。
雑草に侵蝕されながらも、美しい花園に惹かれた。
終の棲家にするつもりはなかったが、長らくそこに滞在した。
雑草と花と。互いに優劣がつかぬように手入れをした。
もともと口数の少ない自分がひとりになると話すということが本当に無くなった。
思うか書くか、考えるか。それだけだ。
住み慣れた家を引き払って一ヶ月。ここに来て一週間。
そろそろ動かなければと思いつつ、居心地の良さがつい甘えを生んでしまう。
「・・・・っと」
足元にちいさな紅い花。
「踏まれてしまうよ。こんなところで咲いていては」
『死んでしまうよ。そんなに無理をしていては』
「・・・・薔薇か」
紅い薔薇、紳士な彼には似合いだったな。
紅という色も。ビロードのマントは本当によく似合って。
如雨露を持って立ち上がり邸宅に向かって歩き出す。
置いていかれた、紅いちいさな薔薇の花。
不意に、否、気配を感じて視線を上げる。
視界に入るベランダ。
その手すりに。
「やあ、しばらく」
その手すりに凭れ掛かり、皮肉と不満とすこしの怒りで顔を歪めた友人がこちらを見下ろしていた。
私は何も言わない。
沈黙だけが、辺りに漂う。
何故消えたと君は言う。
何故ここにと君は言う。
何故何も告げずに。
何故。
何故?
しかしそれは彼の鋭い瞳と沈黙が告げていたのであって。
決して口答ではなかった。
それが解るのは、わたしが彼に対してずっとずっと沈黙で答えてきたからだろうけど。
わたしの口は開いた。
「・・・・誰も」
彼はじっと聞いている。彼の話を聞いている時、わたしがそうであったように。
「誰もいないところに行きたかった・・・・」
スッとその瞳が眇められる。
「誰もいないところまで・・・・」
逃げて、しまいたかった。
周囲に住まう人無きあの家にいて。それでもなお。
考えてみれば、それを壊したのはいま目の前に現れたこの友人であった。
友人の冒険談を書くこと。それは自分が好んだ静寂の終りでもあった。
何某かの人物に扮した警官が、絶えず自分の周囲をうろつくようになった。
普通に過ごしてきた人々にとって、彼らは視界に紛れて気にも止めない存在なのであろうが。
わたしは違った。
どんなに彼らが優れた捜査員だったとしても、彼らの存在はわたしの静寂を、沈黙を壊した。
わたしは
わたしは何もしていない。
わたしは
わたしは
わたしは、ただ。
軽やかな身のこなしで、友人がベランダから目の前に下りて来た。
わたしと正面から向かい合う。
ウォーターブルーの瞳が澄んでいる。
逃げられないな、と思う。
いや、そもそも彼から逃げていたのではないのだけれど。
でも、結果的には彼から逃げていたことになるのかもしれない。
「誰もいないところなんて無いよ」
少しだけ、弾かれたような衝撃を受ける。
それは普段気にも留めない雨垂れの音に驚いた時のような。
いつのまにか優しく細められた瞳がわたしを捕らえていた。
「誰もいないところなんかに行ってしまったら、君までもいないことになってしまうよ」
ああ、
ああ、そうだ。
ほんとうは気づいていたんだ。
わたしがあそこからいなくなった理由。
本当は、周りに人がいたってどうってことはない。
それでわたしの静寂が壊されるわけではないから。
わたしが嫌だったのは疑惑の眼差し。
くたびれる。静寂を視界の端から壊していく視線。
「だから帰っておいでよ。きみは僕の友人だ。だが、きみがいつだったか言ったとおり、≪協力者≫では無い」
目を閉じて深く一呼吸する。肩から力が抜けた。
その両肩に友人の手がそっと置かれる。
「きみの生活を僕のせいで害するのはとても心苦しいよ。できるかぎりの手配はする。だから──」
閉じていた目を開ける。
「きみは、きみのままで──そのままでいいんだよ、モーリス」
僕のことで、きみが煩うなんて、割りに合わないんだから。
そう言って微笑んだ友人。
「・・・・・薔薇」
「?」
「紅い薔薇の花・・・ちいさいのが一輪、踏まれそうなところに咲いている」
突然の発言に目をぱちくりさせて聞いている。
「それを処置したら」
帰る準備、手伝って。
そう告げると。
友人は上機嫌に
その可憐な薔薇の処置から手伝わさせてもらうよ、と。
笑いながら言ったのだった。
そのあと少ない荷物をまとめて元の家に戻った。
引き払ったはずの家はやはりというか、ルパンがしっかりキープしていた。
その後、ルブランの家を見張る警官の数も機会も減ったのは言うまでも無いこと。
END
ふっるーーーーい!!(爆)
最近全然更新してない(死)ブログからサルベージ。
実質上これがはじめてのルパルブ・・・の、元祖なんだろうか。
この頃はまだ、友人同士で考えてたのが窺えますね。きっちり『友人』って言ってるし。
どこにも『恋人』ワードが出てきてない。
ルブが目を閉じて深呼吸してる間にキスのひとつも出来そうなもんなのにしてない。(爆)
そして何より文章が今より稚拙。(羞 恥)
これ書いたの2004年の11月らしいんだけど・・・
サイト立ち上げてから一年も経たないのにもうルブランが登場してたことに驚愕した。
どんだけのスパンでキャラを創ってたんだ自分。
ブラウザバックプリーズ!
初出:04.11.11〜04.11.29
改訂:07.11.25.TOWEL・M