昼間は紳士淑女で賑わう倫敦の街も一度夜の帳が下りてしまえば油断も隙も無い街になる。

 

 しまった。ポカった。

 

 その夜の倫敦に慣れたはずの男さえも、ときに一杯食わされるほどに。

 

 

 

『訪れることは、二度とない。』

 

 

 

 パチパチと薪の弾ける音。

 身体はすっかり温かくなっているのに、手だけが冷たくてしょうがない。

 いや、手が冷たいだなんて、俺に限ってそんなことはありえないのだけれど。

 そんな俺に覚醒を促したのは、聞き覚えのある二つの声だった。

 

「なんだってこんなヤツを拾ってきたんだワトソン!」

「だって!道で倒れてたんだよ?!放っておけないだろ!」

「それでのこのこ近づいたって?バッサリ殺られたらどうするつもりだったんだい?

 コイツが何をしているか、知らないわけでもないだろう。なのにそんな危険が無いとでも?」

「それはそうだけど!でもそれ以前に僕は医者なんだよホームズ!!」

 

 ・・・・・・。

 痴話喧嘩かよ。

 どうやら自分は探偵のところのドクターに拾われたらしい。

 ということはここは二人の下宿先のベーカーストリート、221bか。

 目を開けるとまた五月蝿いことになりそうなのでとりあえず目を閉じたままそんなことを考える。

 そうしている間にこんなハメになった理由も思い出してきた。

 なんてことはない、仕事のクライアントとちょっと拗れただけだ。

 ちょっとの拗れのわりに、しつこかったけどな。

 

「コイツのことだ。どうせ汚れた仕事のトラブルの巻き添えというのが関の山だろう。そのまま放置しておいた方が世のためだった気もしなくもないがね」

 

 さっすが犬探偵。よく鼻の利くことで。

 

「そんなこと言って、事件が無いと暇だって言うくせに!」

 

 へぇ、そうなんだ?

 やっぱお堅い警察連中とは違うねぇ。

 好きだよ、そういうところは。

 

「それは仕方ないだろう?常に新しい刺激が無いと、この頭脳は腐ってしまう」

「それは完ッッッ全にきみの私情入りまくりじゃないかッッ!!」

「僕は諮問探偵だ。生真面目なヤードの奴らと同じ働きを求められても困るね」

「でもきみは切り裂きジャックの一件に興味は無いって言ってたよね」

「ああ。理由無き酔狂殺人に興味は無いよ。知性も理性も感じられない、動機無き殺人にはね」

「だったら、ぼくが彼を助けても問題ないって事だよね!」

「何故そうなる!というかそれとこれとは別問題だ!!」

「どうしてそうなるのさ!たったいま興味無いって認めたくせに!!!」

 

「俺もアンタに興味ねぇなぁ」

 

 くっくっく、と笑いながら口を挟む。

 だって探偵とドクターの会話があんまりにも面白かったから。

 ただ笑った途端に体に響いて、すこし苦しげに身体を丸めることになったが。

 二人の視線が、一気に俺に集中する。

 

「目が覚めたのかい?大丈夫?」

 

 パタパタと駆け寄ってくる音がして、丸めた俺の背をドクターの手が少し焦ったように摩った。

 

「起きたのならさっさと出てけ」

 

 次いで刺々しい探偵の声。

 俺だってできることならそうしてぇよ。

 アンタらの痴話喧嘩のダシに使われるのは御免だ。

 

「そうできればねぇ〜」

 

 言いながら丸めた背を伸ばし、ふざけたように手を上げてひらひらと振る。

 ドクターは摩るのを止めていたが、俺の様子に「無茶しちゃ駄目だよ」と言うと上げていた腕を掴まえて下ろさせた。

 それに不満げな顔を見せてはみたものの、実際まだ起きて動ける気はしなかった。

 視界もいつもより暗く、狭いと感じた。いまだって少し首を動かしてようやく自分が暖炉の前の長椅子に寝かされていると分かったぐらいだ。

 目を開けているのが辛かったので、早々に再び瞼を下ろす。

 気分が悪いか、どこか痛いところは無いかと尋ねるドクターには首をわずかに振ることで答えた。

 こういうときは、さっさと寝てしまうに限るのだ。

 

 

 暖炉の熱に当てられて身体は十二分に温かいのに、何故か腕から手にかけてが異状に寒い。

 まるでそこだけが真冬の外気に曝されているよう。

 なんでだ、なんで、こんなに。

 少しでも温めようと手を擦り合わせる。

 その音が生身の肌のものではないなど、夢と現を彷徨う者には分かるはずも無い。

 

 ただ、冷たい。

 

 それをどうにかしたい。

 その一心だった。

 

 

 さっきから、いったい何をやっているのだろうかこの稚拙な殺人鬼は。

 先ほどからリパーの寝ている長椅子から一定の距離を置いたところで佇んでいたホームズは呆れとも取れる目で長椅子のモノを眺めていた。

 夜も深夜を回ったので付きっ切りでリパーの様子を診ていたワトソンに仮眠を言い渡したため、心ならずもリパーの様子見を引き受けることになったのだ。

 別に容態が急変しようが知ったことではないが。

 ふん、面白くない。

 鼻であしらい、自室に引っ込んでしまおうかと思った矢先。

 長椅子の上の切り裂き魔が、妙なことをし始めた。

 

 カシ、カシ、カシ。

 カシ、カシ、カシ。

 

 ・・・・何をやってるんだ?

 木製の義手である手を、さっきからしきりに擦り合わせている。

 二、三歩歩み寄って表情を窺うが眉間に皺を寄せたまま、その目は閉じている。

 眠っているのか。寝ぼけているのか。

 何の気無しにその動作を眺めていたが、暫くして寒いときに手を擦り合わせるときの動作に類似していることに気がついた。

「寒いのか」

 暖炉の火は衰えることなく燃えているし、十分温かいと思うのだが。

 体調が不良な分、寒いと感じているのかもしれない。

 これ以上部屋の熱を上げるのは嫌だったので仕方なく己の部屋から毛布をひとつ持ち運んでくることにした。

 一応、『見る』と言った以上はそれくらいのことはしておかないとあとでワトソンに何を言われるか分かったものではない。

 やれやれと思いつつ毛布をかけてやるべく身をかがめて近づく。

 すると突然袖を掴まれた。

 何事かと一瞬身を引いたが、見やった先の殺人鬼の表情を見てそうではないと気づく。

 さっきまで閉じられていた瞼が上がり、そこには少々濁った紅が覗いていた。

 そしてその唇が、わずかに動いている。

「どうした」

 短く問いかけてやると、何度か唇が震えるように動いた後、ようやくそれは音となって表われた。

 

「・・・手がつめたくて・・・・しょうがね・・・・」

 

 リパーのその言葉に私は思わず肩眉を上げた。

 リパーの、この男には手というものが無い。

 あるのは肩から生えた木製の、仮初の腕ばかりである。

 ゆえに『冷たい』などと感じるはずがないのだ。

 いかに精巧な義手といえど、感覚神経を補うことは現段階では不可能なのだから。

 いまここにいるのがワトソンであったのなら、コイツが温かいと思えるようになるまでその手を摩ってやったことだろう。

 だが、私にはそこまでする義理も無い。

 

 そう、いつだって私は真実を告げるだけ。

 それが冷たかろうと温かろうと。

 

 

「それは在り得ない。お前の手は義手だ。『冷たさ』を感じることなど在り得ない」

 

 

 温かさとて同じこと。

 お前の義手に宿る感覚など何ひとつ無い。

 敢えてひとつ挙げるならば。

 

「それは虚無だ」

 

 焦点の不確かな赤い目はしばし虚空を見つめていたが、唐突に口元に苦い笑みを浮かべたかと思うと「嫌なヤツ・・・」とひとつ零すと溶けるように瞼を下ろした。

 それと同時に、私の袖を掴んでいた木製の義手もするりと離れる。

 仮眠を済ませたワトソンが戻ってきたのはその直後のことだった。

 

 

「うーん!」

 翌日。221bの居間で朝日を浴びながらグッと伸びをするリパーの姿があった。

「あ・・・れぇ?ジャック?」

「あ、ドクター。起こしちまった?」

 昨夜リパーが横になっていた長椅子に何故自分が横になっているのか分からないとでも言うようにワトソンが目をこすりながら首をめぐらした。

「朝起きたらドクターがすぐ傍で突っ伏して寝てたからさ」

 俺は俺で目が覚めたらもう気分良かったし。

 だからドクターを寝かせといたんだ、ニカリと笑ってリパーが告げる。

「え・・・あ、そうだったんだ。ごめんね、きみの方が病人だったのに」

「別にいいよ。っつーかご面倒かけまして」

「まったくだ」

 ガチャリと居間に続く寝室の扉が開いて、ホームズが現れる。

 朝からたいそう不機嫌そうなのは、寝起きが悪いせいだけではないようだ。

「あ、ホームズ。おはよう」

「や、探偵。おはようさん」

「おはようワトソン。・・・お前に朝の挨拶をされる覚えはないんだが」

 ワトソンとリパーに対する態度の違いを明確に見せ付けて、ホームズがリパーを睨みつける。

 リパーはというとそんなホームズの態度も何処吹く風で、むしろあからさまな探偵の反応を楽しんでいるようにも見えた。

「あーはいはい。そんなに睨むなよ。身体も動くようになったし、早々に退散するよ」

 ひらひらと探偵の視線を追い払うように手を振って、リパーが窓に身体を向ける。窓から出て行くつもりなのだろう。

「え、もう?朝食くらい食べていきなよ。ハドソンさんのことだから、きっときみの分も用意してくれてると思うよ?」

「・・・ワトソン?」

 ともすると窓を開け放った瞬間に吹き込んでくる風のように去ってしまいそうなリパーを慌てて引きとめようとするワトソン。

 そんなワトソンの反応が面白くなくドスの効いた声を出すホームズ。

 いまだ窓辺に向かったまま、首だけ振り返りつつどうすりゃいいんだと静止するリパー。

 三人三様の反応を見せているうちにゆっくりとした足音が17階段を上ってくる。

 

 奇妙な朝食会が開かれるまで、あと少し。

 

 

 

END

シリアスなんだかギャグなんだかよく分からなくなったYO・・・!
これだから犯罪組と探偵組は絡ませるもんじゃないね・・・・(哀)
きっとこれが行き過ぎるとホムリパになるんだろうな・・・とか思いつつ打ってました。
水玉の中ではこの二人は似たもの同士なので分からなくも無いんですが。(分かるなよ)
しかし『裸の腕』に続いてまたもリパ腕ネタでした。
いや最近リパの腕ネタブームだなこりゃ。 

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07.11.04.TOWEL・M